【闘病有名人】がんを克服し「生前供養」を済ませた俳優・黒沢年雄さんの人生観とは
がんの多くは予防可能な生活習慣や環境要因を原因とする生活習慣病とされています。もちろん、年齢とともにリスクは高まり、遺伝的な要素も考えられます。
ただ、食事は大事です。「がんの原因にもなれば予防にもなる」のです。がんの原因の35%は食生活、30%は喫煙であることがわかっています。
つまり、がんの2/3は予防できるわけです。
一方で、「ストレスは万病のもと」と言われている通り、ストレスを抱え込めば抱え込むほど、「風邪」「高血圧」「うつ病」以外にも「がん」になりやすい身体になるのです。
多少のストレスはあった方がいいとも言われていますし、人間、このストレスに耐えて克服することでますます向上していけます。ただ、過剰なストレスは「百害あって一利なし」。
さて、
近年は多くの有名人たちががんに侵され闘病生活に入り、若くして亡くなっていく姿をよく目にします。
2人に1人はがんになるとも言われ、日本人の死因第一位であるがん。早くどうにかならないものでしょうか。
がんの手術は計8回!黒沢年雄さん初めてのガン体験!
こう語る俳優の黒沢年雄さんは、つらいとか苦しいといった経験を幾度となく乗り越えてきているからこそ、こんなセリフを吐けるのです。克服してしまえば、全てはいい思い出になる…ということを体が知っているといいます。
ただ、そんな達観している黒沢さんでも、一番初めの大腸がんが分かった時はかなり不安だったそうで (1992年、48歳のとき)。
「僕は、体のメンテナンスはずっと気を付けていて、主治医の病院で、毎年きちんと検査を受けていたんです。その主治医には家族ぐるみでお世話になっていて、信頼もしていました。」
「でもある日、血便があったので受診したら『痔』と診断されたんです。その時は疑いませんでしたが、その3年後に大腸がんが見つかった。今思えば、その血便がサインだったと思っています。」
その後、トイレで大量に下血したときに、「これは痔なんかじゃないっ!」と思い、たまたまテニス仲間に医師がいたので、彼の病院で検査をしたら「S字結腸にポリープがあり、それががん化している」と言われたのです。ステージⅡ…
セカンドオピニオンは大事!
手術は内視鏡で済むはずでしたが、のぞいてみたら思いのほか大きくて。。。そのため、転移の可能性を考慮して、その後開腹手術が行われ、ポリープ周辺の腸管とリンパ節を切除したのです。
医師いわく、「開腹手術をしなければ半年で死んでいたでしょう」と。。。
これを機に、黒沢さんの人生観も大きく変わりました。がんの恐怖、入院、手術、開腹の痛みなどはもちろんつらいことでしたが、命が助かって、また元気に過ごせることの何と楽しいことか!
こうして黒沢さんは、「あらゆる困難は楽しいことへの序章なんだ」と悟ったのです。
2008年には血尿がきっかけで膀胱がんが見つかりましたがすぐに手術して完治。2014年には食道がんと胃がんで計4回の手術を受け、両方ともに検査で、 “初期の初期”で見つかったことから内視鏡手術だけで済んだのです。
これだけがんになったのに、なぜか今のところがんに勝ち、生き残っている黒沢さん。医師には「凄い精神力ですね」と言われたそうですが、それはきっと、「与えられた境遇を必死に、本当に命がけで生きてきたからこそのご褒美」なのかもしれません。
「死ぬことは怖くない」
病気だって同じです。
「振り返ってみると、若い頃は無我夢中でウエイターから保険のセールス、トラック運転手……といろんな職業を経験してきました。そんな実体験の引き出しをたくさん持っていたから、演技勉強ゼロの僕が、役者でやってこられたと思っています。」
「その代わり、役者になってからは夜更かしも酒量も半端ではありませんでしたから、がんになっても不思議じゃないなとも思います。」
結果として、
「若い頃の夢を全部手に入れてしまったから、今はもう欲がありません。あえて言うなら、今ある仕事を大事にしたい。それだけです。莫大な借金もとっくに完済しましたからね。」と語る黒沢さん。
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「それに、僕はもうお葬式を済ませているんです。」
「昨年、比叡山の阿弥陀堂で「生前逆修永代供養」というのをやりました。人に迷惑を掛けるのが嫌いだから……。死んでも通夜も葬式もしないし、偲ぶ会なんてやったら化けて出てやりますよ(笑)。」
《 プロフィール 》
▽くろさわ・としお
1944年、神奈川県生まれ。1964年に東宝映画第4期ニューフェイスに合格。俳優のほか、歌手、バラエティー番組、CMでも活躍。トークショー、ディナーショー、学園祭などの出演も数多くこなしている。著書に「二流の芸能人が、何度がんになっても笑って生きている理由」などがある。