過食症を克服した中島啓江さんの本当の死因は?

 

「私はこの体型が気に入っている」「ダイエットなんて考えたこともない」

ある日のインタビューでこう答えていたオペラ歌手の中島啓江 (けいこ) さんは2014年、呼吸不全のため57歳の若さでこの世を去りました。

 

死の直接的原因は、肥満により肺と心臓が圧迫され酸素がうまく取り込めていなかったこと…かもしれませんが、その背景にはもっと深い闇があったのです。

身長165cm、体重170kg。いつも元気で明るいキャラクターが幅広い世代に愛されていた中島さんでしたが、実は、私生活では長い間深刻な悩みを抱えていました。それは、、、

 

 

堪え難い父親の家庭内暴力

「父は理由なくいつもどなっていた。酔っては暴れ、物を投げる。母を蹴る。その声を聞くだけで体が固まり、心臓がドキドキした」

中島さんの右手首には、細い傷跡が何本かうっすらと残っています。これは、父親が包丁を振り回した際、母親をかばおうとして負った傷らしく。。。

 

「建築工事の現場監督などをしていた父はギャンブルが大好きで金遣いが荒い。後でわかったことですが、晩年の母は生活のために消費者金融に手を出し、多額の借金があった。(私が) 毎月渡していた30万円もすべて、その返済にあてられていた。」

20代の頃、中島さんは父の暴力に耐えきれず母と2人家を出て、あてもなく歩き、すし店に入り、食べながら2人で泣いたことがあるようで。離婚を勧めるも、結局母は「帰る」と言って帰っていったのです。

 

「暴力をふるわれても、時には優しい父を母は見捨てられなかったんだね」

そして1996年、最愛の母親はくも膜下出血で倒れますが、数ヶ月の入院中、中島さんは父との2人暮らしによるストレスで「過食症」に陥っていくのです。

 

 

 

 

過食症に顔面麻痺、メニエール病

「メシはまだか」「金を降ろしてこい」。怒鳴り散らす父。自分の部屋に閉じこもっても、鍵を無理やり開けてこようとします。

「仕事で歌っているときは自分の世界。人を励まし、自分の励みにもなる。でも仕事が終わるにつれ泣けてくる。帰らないといけないから」

 

そんな状況をつかの間でも忘れられる逃げ道が「食べること」だったのです。朝目覚めると、枕元にポテトチップスや菓子パンの空き袋などが散乱。情けなくて泣くしかありません。

それでも、食べ物を無理やり口に押し込み、牛乳で流し込み、食べ過ぎてよく吐いていました。もちろん他の症状も。

 

ある朝、鏡に映った自分の顔を見て「ギャー」と叫びます。顔の右半分がお化けのように垂れ、顔面神経まひが起こっていました。急に目が回り、床に倒れたことも。

 

 

中島さんは、父親の存在がストレスとなり、めまいや吐き気を催すメニエール病にかかってしまったのです。過食症に顔面神経まひ、メニエール病。。。父親との生活はもう限界でした。ストレスで、心も体もボロボロに。。。

 

 

 

 

母と父の死

最愛の母は入院9か月で亡くなりました (1997年)。失意のどん底に落とされ「もはや父とは暮らせない」。。。そう考えた中島さんは間に弁護士を立てて父と別居。週に1度は父の様子を見に行きますが、自分の住所は教えません。

ところがある日、仕事から帰ると玄関先に父の姿が。「金をくれ」と言って財布をひっくり返し、中身を地面に投げ散らす父。

 

「持っていって!もう来ないで!」と叫びますが、父はお金を拾い集めると「また来るよ」とにっこり笑って去って行き、またやって来ます。

このような状況の中で、周囲は全く理解してくれません。父と娘は仲がいいというのが世間の常。そのうえ中島さんの父親は外面はいいため、「本当は娘のことを思っているのよ」「お父さんの面倒をみないの?」、とそんな言葉ばかり。。。

 

どんなに「明日はいいお父さんになりますように」と願っても、結局最後まで変わることはありませんでした。

最終的にがんで亡くなった中島さんのお父さんは、とんでもない額の借金を残していましたが、中島さんの本音は「やっとこれで重い荷物がおりた」ということでした。

 

 

 

支えてくれた事務所の社長


 
中島さんの過食症は、お母さんが亡くなった頃の前後2年ほど続いていたそうです。これを克服できたのは、事務所の社長にすべて打ち明けてから。異常な食べ方や体重増加を心配した社長が「本当のことを話してごらん」と声をかけてくれたのです。

これを機に、溜まったものを吐き出すかのように父親の家庭内暴力のことを話し出したのです。「何とかしてやるよ」。。。社長のその言葉に気持ちが楽になった中島さん。

 

実は、中島さんは小学生の頃いじめられっ子でもありました。「声が大きい」とからかわれ、歌うことが怖かった時期もあります。だからこそ、いじめや家庭内暴力の被害者のつらさが痛いほどわかるのです。コンサートや講演では、被害者を励まそうと自身のつらい体験を話し、克服への道のりを熱く語ります。

「理解してくれる人は必ず現れるから、絶対に生き抜いて!」

 

中島さんは、本当は加害者にもコンサートに来てほしいと願っています。「私の父だって、生まれた時からあんなだったわけじゃない。加害者も、自分を変えるため誰かの助けを求めているはず」

父が亡くなって数年。「つらいことばかりだった長い時間が過ぎ、私の本当の人生はこれから。だからこそ、今は少しでも長く健康的に生きたいと思えるようになったのです」

 

 

 

まとめ

大きな体が印象的だった中島さん。「オペラ歌手は声を共鳴させるため、あえて太っている方がいい」という考えもあります。しかしながら彼女の場合は、肥満の原因に幼少より受け続けた父親からのDVと過食があったのです。

《理由もなくいつも怒鳴っていた。酔って暴れ、物を投げる。母を蹴る。その声を聞くだけで体が固まり、心臓がドキドキする》

 

とても大切な存在だった母が死に (1997年)、恐怖の存在だった父が死に (2007年)、気がつけば50代のおひとりさまとなった中島さん。生活を律する人はなく、一度増えた体重はなかなか元に戻らないどころか、2009年には190kg目前にまで迫っていました。

2014年に彼女の命を奪った“呼吸不全”は、「呼吸器の機能が低下し、体中に充分な酸素を送れなくなる」状態のこと。これ自体は病気ではなく、肺炎などの呼吸器の疾患によって引き起こされます。

 

中島さんの場合、心臓や肺への圧迫に加え、首回りの脂肪も呼吸のしづらさに拍車をかけていたのでしょう。この状態が長く続くと、日中の眠気や起床時の頭痛、全身の倦怠感などにつながり、重症化すると心臓に負担がかかり「意識障害」や「こん睡」など、命を危険にさらす可能性も出てくるのです。

 

 

中島啓江さん。あなたの人生は幸せでしたか?

晩年はきっと幸せだったに違いないと信じつつ、天国では大好きだったお母さんや改心してくれたであろうお父さんたちと一緒に、大好きな歌を楽しく歌ってくれていたらいいのになーと願っています。

 

ストレスよ、さらば!