母親の虐待で「急性ストレス障害」に陥った歌手のEPOさん
「虐待をする人」は実父母であることが多く、中でも母親が最多であることがわかっています。悲しいことに、我が子に対するネグレクト事件が後を絶ちません。
そもそもこの問題は親だけの責任なのでしょうか?親たちが置かれている環境にも問題があるのでは?
であれば、虐待を減らすには「虐待する親も支援する」必要があると思うのです。
ネグレクトとは
体を叩いたり蹴ったりする暴力は「身体的虐待」と言います。他にも、「心理的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」の3つがあります。
ちなみにネグレクトとは、子どもに食事を与えないとか、車の中に放置したり身体や服を不潔なままにしたりすることです。子どもを学校に行かせないとか、子どもだけを家に残して保護者が夜に出かけたりすることなども「ネグレクト」になります。
どこまでが「しつけ」でどこからが「虐待」?
まずはじめに、「子供を安全に守ることができない状態に放っておくこと」が虐待だということを覚えておいてください。その上で、「大人が自分の感情に任せて子供を力でコントロールしようとすること」は当然虐待です。
「児童虐待」という言葉で「残虐な扱い」をイメージするかもしれませんが、英語では「Child abuse(チャイルドアビューズ)」( abuse は「誤用・濫用」の意) といい、大人が子どもに対して「力を濫用する」ことを意味します。
「小さい子供がなかなか言うことを聞いてくれない」
「イライラする」
そんな時は一度深呼吸してみたり、他のことに意識を向けてみたりして、怒りを爆発させる前に落ち着く努力をしましょう。
「しつけ」と「虐待」はとてもきわどいものですが、似て非なり。後者は絶対にやってはいけません。
EPOさんのプロフィール
19歳で歌手デビューし、「土曜の夜はパラダイス」「う、ふ、ふ、ふ、」など、時代の空気をすくい上げたようなポップな楽曲で大ヒットを連発したEPOさんは1960年生まれのシンガーソングライターです (本名は宮川榮子:旧姓佐藤)。
デビュー当時から昭和歌謡とも洋楽とも言い切れない独特な音楽性で活動し、J-POPの一時代を築いた1人と言っても過言ではありません。
ちなみにデビュー前には「竹内まりや」「大瀧詠一」「シャネルズ」などと仕事で共演し、デビュー後にはバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のエンディング曲に取り上げられたことで一躍人気者となりました。
ただし、この番組に出演することが「精神的に苦痛だった」ことをのちに明かしています。
母親に虐待を受けたEPOさん
毎日がめまぐるしく過ぎていた1987年。その日はサザンオールスターズ・桑田佳祐さんのラジオ番組にゲスト出演の予定でした。外出の準備をしていたら突然玄関のチャイムが「ピンポーン。ドアを開けるとそこには包丁を持った母親が立っていたのです。
実はEPOさん、幼児期からずっと虐待を受け続けていたのです。「やめて〜!」。なんと、母親が真顔で切りつけてきたのです。なんとか母親を振り切ってタクシーで所属レコード会社に逃げ込んだEPOさんでしたが、そこに父親から電話がかかってきたのです。
「娘 (EPO) から妻が暴行を受け怪我をした。警察に連絡すると本人に伝えてくれ。」
この事件をきっかけに、EPOさんは自分自身が壊れていくのを感じたのです。過呼吸になり、意識が飛んでいったのです。救急車で運ばれ、そのまま病院のベッドへ。急性ストレス障害でした。
急性ストレス障害とは
急性ストレス障害とは、強烈なショック体験や強い精神的ストレスを経験することで「心にダメージを負ってしまう」一過性の精神障害のこと。
生死や人間の尊厳に関わるようなトラウマ (心的外傷)を受けた後、悪夢として現れたりする障害のことです。これが長期化するとPTSD (心的外傷後ストレス障害) になります。
壮絶な幼少期を経て
救急搬送された病院で意識が戻ったのは2日後のことでした。数日間休んだ後、症状は回復し、仕事に復帰しましたが、心の傷は癒えません。「娘が暴力を振るった」という母親の虚言を妄信し娘を責めた父親への絶望感もありました。
母親の「嘘」「被害妄想」「言葉の暴力」といった虐待は、子どもの頃から日常的なものでした。そのため、恐怖に怯え、気が休まる時はなかったといいます。
母親は境界性パーソナリティー障害 (精神疾患) でした。同性が大嫌い…ということで、娘が脅威だったようです。ちなみにこの障害を持つ人は「感情」や「行動」が不安定になりがちなのですが、誰もが攻撃的…というわけではありません。
「幻覚」「幻聴」「思い込み」などが高じると、虐待という形で表れる場合もあるようです。このような環境で育った子供は、「怒られるのは私が悪かったから」と常に自分を責める子どもになってしまいます。つまりEPOさんも、自分の存在を肯定できないまま、大人になってしまったのです。
おわりに
幸い、高校生の頃に活動を始めた音楽を通じて良好な人間関係を築くことができ、やがて人気歌手になることができました。しかしながら、母親の異様な行動は20代になっても終わりません。留守のマンションに忍び込み私物をチェックしたり、実の娘のありもしない作り話を近所で流したり。。。
そんな環境に苦悩しながらも、EPOさんは前向きでポップなメロディーの曲ばかりを作り続けます。まさに、過酷な半生とは真逆のモノだったのです。
「母に受け入れてもらいたい」「周囲の期待に応えたい」・・・その思いだけで歌を作っていました。ちょうど急性ストレス障害から回復した頃、大きな転機がやって来ました。イギリスの大手レコード会社と契約がまとまったのです。
現地のプロデューサーから「あなたの声質は人の心を癒やす力を持っている」と言われたことで、自分の居場所がはっきりした気がしたのです。
帰国後は、かつての売れ線から離れ、人の心に寄り添うような深みのある旋律や歌詞の作品を多く手がけるようになります。こうして音楽家としては大きく成長したものの、母親からの嫌がらせは相変わらず。。。
それでもけっして突き放すことはしなかったEPOさん。「つながりを切ることに罪悪感と葛藤がありました。やはり親ですから。」
その後、たまたま受けた催眠療法によって「母に振り回される人生は終わり」「自分が幸せになることを自分に許す」という気持ちになれたそうです。「二度と会わない」と母親に通告し、一切の関係を断つことに成功したのです。44歳にして、ようやく穏やかで幸せな生活を手にいれることができたのです。