高島忠夫一家に学ぶ老老介護の現実と対処法
俳優の高島忠夫さんは家族全員が芸能人であり、一時は皆で仲良くテレビ番組に出演するなど、お茶の間をいつも笑顔にしてくれていました。
夫婦揃って「ごちそうさま」という長寿料理番組に出演していたことも。本当に、誰もが羨むほどのおしどり夫婦っぷりだったのです。
しかし、ある日突然、忠夫さんは静かに表舞台から消えていくのです。
いったいなぜ?
1998年、重度のうつ病を発症した忠夫さん。レギュラー番組を全て降板しました。そして、本格的に治療に専念することとなるのです。降板にあたっては、「糖尿病です」と説明されていました。
翌1999年、症状が改善したということで仕事に復帰し、復帰後初の仕事「徹子の部屋」で、「実はうつ病だったんです」と告白。
しかし、
完治はしておらず、無理がたたって再発し、再び療養生活に入ることとなったのです。
その後、2003年頃から徐々に芸能活動を再開させ、2007年には完全復活宣言!
以来、家族みんなで「うつ病への理解を深める活動」を行っているそうです。
高島さんの妻、寿美花代さんは、「糖尿病」「心臓病」「足腰の弱り」そして「うつ病」と、次から次へと夫を襲う病に対し、夫婦二人三脚で献身的に支え続けています。
そんな頑張りも虚しく、
2013年には不整脈からの心臓ペースメーカー手術までも受けることになった忠夫さん。
さらに、
パーキンソン症候群までも発症してしまいました。
妻の寿美花代さんは、かれこれ15年以上も夫の病と共に闘い続けているのです。
そんな高島夫妻には、思い出したくもない辛い過去があります。
1964年8月24日未明、東京都世田谷区の自宅で長男が風呂に沈められ、部屋が荒らされていたのです。
同日午前2時40分頃、住み込みの女中 (家政婦) Aが「道夫お坊ちゃん (生後5か月) の姿が見当たらないっ!」と高島夫婦に報告。すぐにみんなで家中を探し回ります。
すると、蓋の閉まった風呂桶の中に沈められている長男が…
すぐに自宅近くの病院へと搬送されましたが、既に心肺停止状態。人工呼吸など試みられましたが、結局そのまま息を引き取ったのです。
犯人はいったい誰?
目的は?
事件に最初に気づいた女中Aは「窓の外に不審な男の姿を見た」と証言。「赤ん坊が激しく泣いてる声を聞いた」とも。
しかしその後、
Aは「私が殺りました」と犯行を認めたのです。
もともと高島夫妻の大ファンだったAは、知人の紹介で住み込み女中として働くことに。
高島夫妻はAをとても可愛がり、信頼もしていたのですが、長男が生まれてからは「自分は疎遠に扱われるようになった…」と被害妄想を抱くようになったA。
「この赤ん坊さえいなければ、二人の愛情はまた私に戻ってくるのでは…」
・・・
気がつくと、長男を湯船に沈めてしまっていたのです。
・・・
お通夜では、心労の寿美さんは記者会見を欠席、夫の忠夫さんただ一人が会見に臨んだのです。
結局、
女中Aは未成年でしたが、成人同様に殺人罪で起訴され、懲役3〜5年の不定期刑を言い渡されたのです。
(高島家には次男高嶋政宏、三男高島政伸の他に、実は長男がいたのです)
人気バイオリニストの高嶋ちさ子さんは、実は高島家と親戚関係にあります。忠夫さんの実弟がちさ子さんの父親、つまり、高嶋兄弟とはいとこなんです。ちなみにこの実弟はビートルズをいち早く日本に紹介した人物として知られています。
ちさ子さん幼少期の頃には両家の付き合いは密なものでしたが…
「なんかうちとは違う…」
「豪邸に住んでいるし、食べるお肉も美味し過ぎる」
と次第に生活レベルの差を感じるようになり、ちさ子さんがバイオリンを始めた頃、寿美さんの何気ない一言、「お金がかかるのに大丈夫なの?」…これがきっかけで次第に疎遠になっていったようなのです。
親戚の絆はその程度のものなのかもしれませんね。
話が逸れてしまいました。高島忠夫さんのうつ病の話に戻しましょう。。。
仕事を続けながら懸命に看病を続けていた寿美花代さんですが、介護の辛さから、精神的にかなり不安定な状態が続いていたようで、
ちょっとしたことで号泣してしまう寿美さん。家の中にはずっと重苦しい空気が漂っていました。
当時の寿美さんの日記には
「みんな私の肩にのしかかりっぱなし。」
「忠夫とはほとんど話をしていない。」
「私の人生は楽しくない・・・」
この一番大変だった時期、家族の中では誰がうつで誰がまともかわからないような状況だったそうです。
政伸さんは
「パパは周り全てを引き込んでいく底なし沼だった」
と当時を振り返っています。
そんな大変な状況の中、忠夫さんのお母さんが亡くなります。主治医の先生は「病気が悪化するといけないので、忠夫さんにはこのこと伝えないでください」と寿美さんに助言。
そこで寿美さんたち家族は、忠夫さんがお母さんのことを考えないように、母の日関連のチラシや記事を目に触れさせないようにし、テレビ番組で「母」という言葉が出てきたらすぐにチャンネルを変える生活を送っていました。
そんな時にふと我に返った寿美さんは政伸さんに「これ、喜劇やな!」と言って二人で笑ったそうです。
それ以降、無理にでも笑顔を作ろうとしなければ全員が闇に呑み込まれてしまうと思い、家族一丸となって「うつ」に立ち向かっているとか。
その甲斐あってか、忠夫さんのうつの状態は次第に良くなっていったと言われています。
高島忠夫
・1930年7月27日 生まれ
・俳優、司会者
妻・寿美花代
・1932年2月6日 生まれ
・兵庫県西宮市出身の女優、タレント
・宝塚歌劇団の元星組男役トップスター
次男・高嶋政宏
・1965年10月29日 生まれ
・俳優
三男・高嶋政伸
・1966年10月27日 生まれ
・俳優
うつ病の患者さんと一番長く時間を過ごしているのは家族です。
正しい対応をすればうつ病は改善に向かいますが、間違った対応を続けると症状の悪化を招いてしまいます。
2013年には老老介護をする高島家の様子がテレビ番組でクローズアップされました。「他人事ではない!」と感じた方も少なくなかったのではないでしょうか。
この放送前後の数年間、寿美さんは講演会や雑誌のインタビューなどで「主人は回復した」と話していましたが、実はそうではないようです。
事実、お酒の入った寿美さんは「私はずっとウソをついている」と懺悔する日々…
スターと一般人の家庭では見栄の張り方も違うのでしょうが、その分、寿美さんの心労たるや、想像をはるかに超えたものがあったのではないでしょうか。
しかし、当然寿美さん一人で看病・介護を続けているわけではありません。そこには住み込みのお手伝いさんや介護士さんたちの助けもあるのです。
皆さんも、うつで悩み苦しんでいるご家族がいる際にはけっして一人で全てを背負い込むようなことはしないでください。
あなたまでうつになってしまったら、大切な家族を救ってあげることができなくなるのですから。
・自分の時間を大切に!
・大好きな音楽を聴きましょう!
・おしゃれをして、買い物や外食に出かけましょう!
かつて、女優の南田洋子さん (享年76) の自宅介護を、俳優の長門裕之さん (享年77) がテレビで公開し世間を騒がせたことがありました。
この時、長門さんに避難の声も殺到しました。
しかし、
老老介護はきれいごとでは済まされないのです。これからの日本社会に、現実のものとしてしっかり存在し続けていくのです。
くれぐれも無理はしないでください。
自殺は考えないでください。
「うつ病が二人を本当の夫婦にしてくれた」という言葉もあります。
長い闘病、介護生活の中にも、必ず幸せを感じられる瞬間があります。
そのことを強く信じて、
笑顔で
自分の時間も大切に!