根津甚八さんの栄光と挫折人生!晩年はうつ病、交通事故、病気、孤独との闘いだった…
映画、テレビドラマ、舞台と幅広く活躍していた元俳優の根津甚八さんが2016年末、深部静脈血栓症及び肺塞栓症による肺炎のため亡くなりました (享年69)。根津さんは右眼下直筋肥大を発症するなどして、2010年に俳優業を引退していました。
根津さんは1969年に劇団に入り、1970年の舞台「ジョン・ シルバー愛の乞食篇」でデビュー。1975年にドラマ「娘たちの四季」に初出演。1978年にはNHK大河ドラマ「黄金の日日」に出演し脚光を浴びました。
そして、1982年公開の映画「さらば愛しき大地」では日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。ほかにも、「吉原炎上」や黒澤明監督作品「影武者」や「乱」などにも出演。憂いのある色気で多くのファンを魅了してきました。
そんな根津さんの素顔はというと、演技同様に寡黙な人柄だったそうです。ただ、その後、2001年頃からうつ病を患い、2004年には自宅近くの交差点で交通事故を起こし、被害者が死亡。
心に深い傷を負った根津さんは、それから俳優活動に専念することが難しくなってしまいました。晩年は、持病のヘルニアや目の病気など、ケガや病気との闘いの連続だったようです。
1994年・・・15歳年下の仁香さんと結婚
1996年・・・長男が誕生
順風満帆に思われた根津さんの私生活でしたが、2001年に右目下直筋肥大という病気を患い、下まぶたが垂れ下がり、物が二重に見える「複視」という症状が出て日常生活が不自由となったため、下まぶたを整形する手術を受けた根津さん。
これにより視界は改善されたのですが、顔の左右のバランスが崩れてしまい、その後何度も整形手術を受けることとなります。しかし、元の顔には戻らず、、、
「これではテレビには出られない」と大きなショックを受けたそうです。同じ頃に最愛の母を亡くし、金銭トラブルにも見舞われ、心身ともにダメージを負った根津さんは、2010年秋、俳優業の引退を発表しました。
・根津甚八としてのプライド!
・関係者に迷惑をかけられない責任感!
オファーはすべてごめんなさいと断っていたそうです。
2001年に目を患い、うつ病まで発症してしまった俳優・根津甚八。さらには2004年、死亡事故を起こして以降は公の場に姿を見せることはなくなりました。
2005年には、交通事故の後遺症か椎間板ヘルニアまで患い手術を行うも、歩行に支障が残ったといいます。妻もそんな旦那の看病で不安神経症と診断され、夫婦で病気と闘うことに。
根津さんは足腰が弱まり、夫婦で心の病を抱えたまま自宅に引きこもり…
そんな状況の中にあっても、家計を支えていたのは甚八さんでした。いくつかの会社顧問を務めていたこともあり、俳優業ができなくてもある程度の収入はあったのです。
妻いわく「家にいた時はただ悶々としていました。何をしていたのか思い出せません。彼の病気を治すことに必死で、焦りと不安の毎日でした。」
そんな生活が2年ほど続いたある日、仁香さんは知人の会社で週3回ほど働かせてもらうことにします。それを機に、仁香さんは明るくなり、甚八さんの鬱も良くなっていったのです。
ただ、その後の根津さんはすっかり老いてしまい、白髪混じりの頭に車椅子の生活・・・
それでも、心身ともに少しずつ回復しつつあるように思われ、最後にもう一度俳優業への復活を願っていた根津さんは、残念ながらその夢を果たすことなく2016年12月29日に肺炎のため亡くなってしまいました。
波乱の人生に鈴鹿に幕を下ろしたのです。
バイオレンス映画『GONIN』(1995)から19年、ファン待望の続編『GONIN サーガ』(2015年秋公開) の初日舞台挨拶に、東出昌大、桐谷健太、土屋アンナ、柄本佑、安藤政信、福島リラ、竹中直人、石井隆監督が登壇。サプライズで送られた根津甚八さんからの手紙を代読した東出は、涙で声を詰まらせていました。
2010年に引退した根津さんですが、石井監督からの熱烈オファーを受け、『GONIN』の氷頭要役で一度限りの復帰を果たしていたのです。手紙には、石井監督やキャスト陣への感謝の思い、東出たち若手俳優にタスキを渡せたことの喜び、役者という職業への情熱が綴られていました。