セリーヌディオン美声に込める亡き夫への誓い
映画「タイタニック」の大ヒットにより、トップアーティストとしての地位と人気を不動のものとした歌手セリーヌ・ディオン。
その驚異的とも言える歌唱力と表現力で、世界中の人々を虜に隅から隅まで魅了し続け、音楽史上最も売れたアーティストとも称されているセリーヌ・ディオン。
しかし、そんな誰もが羨む栄光の軌跡の裏で、大きく深い悲しみもありました。
長年ガンを患っていた最愛の夫との永遠の別れ。。。
2014年夏、セリーヌ・ディオンは突然「活動休止」を発表!
「夫の回復のために全力を尽くしたい。今、この時間を大切に、彼と子供たちのために専念したいんです。ファンの皆様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。」
それから1年後、「君には歌い続けていてほしい」という夫の願いもあり、セリーヌは表舞台へと復帰します。
彼女はこれまでも、ガンで闘病中の夫のために何度か活動を休止しています。
噂では、夫レネさんがこしらえた借金を返済するためとも伝えられていますが、ともかく、あの癒しボイスを生で聴きたい多くのファンにとって、セリーヌの復帰は大きな喜びとなりました。
しかしその裏で、業界関係者たちの反応は冷ややかなものでした。
「レギュラーの定期公演はリスクが高いし、セリーヌのキャリアもこれで終わったな」と。
事実、セリーヌ本人も「私のキャリアはここでおしまいなんだわ」と思っていたそうです。メディアは「船がまた沈む」とまで報道していました。
それほどに、アーティストにとってのレギュラー定期公演はリスキーなものなのです。
それでも、愛する夫のため、ここラスベガスで歌うことを決意。
そもそも、セリーヌ・ディオンが歌手になれたのは夫レネ・アンジェリルのおかげでした。
レネはセリーヌが12歳の頃からずっと、マネージャーとして彼女を支え続けてきたのです。音楽マネージャーのレネは、まだ子供だったセリーヌを売り出すためにマイホームを担保にデビューアルバムの資金調達までしてくれたのです。
そんな二人はいつしか恋に堕ち、セリーヌ26歳の時に結婚。
1997年冬、「タイタニック」が空前の大ヒット!二人はこれまでの苦労が報われ大喜びです。
しかし、そんな幸せは長くは続きませんでした。1999年、夫レネがガンを発症したのです。
この時セリーヌは、愛する夫のためにこれまで築き上げてきたキャリアを簡単に投げ捨てる覚悟をします。
無期限の活動休止…
幸い、二人の愛、頑張りの甲斐あって、レネの病状は回復、そして完治。3人の子宝にも恵まれます。
それから月日は流れ、2014年冬。セリーヌは、ガンが再発した夫のために、またしても無期限の休業宣言を行うのです。
懸命に看病・介護を行い、時には元気な笑顔を見せてくれる夫。しかし病魔は彼を蝕み続けます。そんなある日、やつれ果てた夫はこう言ったのです。
「セリーヌ、君から歌を奪いたくない。また歌ってくれないか…」
弱っている夫のため献身的に寄り添いたいセリーヌにとって、今は歌どころではありません。しかし、何度も何度もお願いされ、ついにセリーヌは表舞台へと復帰を果たすのです。
場所は自宅のあるラスベガスの公演だけと限定的ではありましたが。
・・・
2016年1月14日、公私ともにセリーヌを支え続けてきた夫レネ永眠。ラスベガスの自宅で静かに息を引き取ったのです。長い間ガンを患っていた末の安らかな最期でした・・・ (享年73)。
振り返ってみると、1999年に咽頭ガンと診断され、一度は完治したものの、数年後に再発。セリーヌは、彼のそばにいるため、何度も活動を休止していました。
亡くなる数ヶ月前、栄養チューブで命をつながれていたレネはこう言います。
「セリーヌ、俺の余命はあとどれくらいだ?そんなに長くはないだろう。だったらもう一度君の活躍が見たい。君の歌声を聴きたいんだ。」
「最初はここ(ステージ上)にはいたくありませんでした。今は…」
夫を第一に想うセリーヌ。それでもセリーヌは、夫の強い言葉に押され、歌手活動を復帰させるのです。
そんな妻に夫がお願いしたこととは…
「君の腕の中で死にたい…」
「わかったわ」
膝が震えるかもしれない。泣いてばかりいるかもしれない。でも、愛する人が弱り、助けを必要としたら、泣いてなんかいられない。夫に寄り添い、そして公演をすることが夫にできる最後のこと。
セリーヌは、愛する夫の最期を自分の腕の中で看取るため、そして夫の願いを叶えるため、再び音楽の道を歩み始めるのです。
セリーヌ・ディオンの兄ダニエルさんはガンで亡くなりました。それは、夫レネが亡くなった数日後のこと。
不思議なことですが、悪いことは続くものなのです。
そして、実はセリーヌ自身、喉の炎症が原因とされる病気に苦しめられているのです。
2016年5月、セリーヌは、夫がベッドから転落して死んでいたことを明らかにしました。
「レネは私の腕の中で安らかに眠りたかったんだけど、あの晩、私はステージで歌っていたの。たぶん、立ち上がろうとして転んで床に倒れてしまったのね。」
この事実を看護師から聞かされた時、セリーヌは、「レネは転んだ時に怪我をして苦しんでいたのではないか」という思いでずっと苦しめられていました。
「私の腕の中で眠らせてあげることもできなかった…」
しかしその後、医師から「レネに骨折や怪我、出血などはなかった」「彼の最期に苦しみはなかった」ことを聞かされ、その悩みからは解放されます。
「レネはいつも、ショーは続けなければならないと言っていたわ。そして、私は彼のためにも、強い母親でいなければならないの。」
「私は48歳で、人生で最愛の人を失った。でもね、元気だった時の彼がいなくなってしまったことを寂しくは思うけど、苦しんでいた時の彼を寂しく思うことはないの。」
「自分勝手に思ってはいけないわ。逝かせてあげないといけないのよ。」
「彼は私にこのすべての力強さを残して逝ってくれた。今だって、毎日彼とは生活を共にしているの。ただ、体がそこにないだけよ。彼はもう苦しんでいないってことに感謝しているの。」
2016年2月、セリーヌ・ディオンは夫レネが亡くなってから初めてとなるライヴをラスベガスで行い、思わず涙を流してしまいました。
それは、「All By Myself」歌唱中のこと
愛する人の苦しむ姿はもう見たくない
安らかに眠って…