「ネガティヴ発言依存症」になると人はどうなる?
私たちの人生には乗り越えなければならない幾多の試練や苦難があります。試練は人を成長させ、苦難は人生の肥やしとなります。
そうは言っても、「人間関係のこじれ」「仕事上のストレス」「病気」「借金」「子どもの反抗」「不運」「不幸」「男女間のもつれ」など、あらゆる悩みはあなたを苦しめてしまいます。それが人生というものなのです。
ただ、
順風満帆な人生よりも、遠回り人生の方が有意義かつ得るものが多いことも真なり!
あなたはそう思い、前向きに生きていますか?
それとも、
日々「不平・不満・文句」を言い続けていますか?
でも…
どんなに文句を言いたくなるような人生であっても、全ての現象を「プラス」にとらえた方が絶対に楽しめます!
というわけで、
今回は、そんな当たり前のことをしみじみと感じてもらうべく、「ネガティブ発言」をテーマに書いてみました。簡単に読める内容となっていますので、是非最後まで読んでみてくださいね。
「寒いのでちょっと暖房を入れてくれませんか」と言うのはコミュニケーションとしての一つの言葉ですが、朝起きて「あぁ寒い!」と言うのは、実は「天気の悪口」になります。
「今日は天気が悪いね」
「寒い」「暑い」
といった言葉は「客観的事実を述べただけ」と考えることもできますが、本当にそうでしょうか?
そもそも、天気 (晴れ・雨・曇り) には良いも悪いもなく、私たちがそれをどう思うのかが問題なのです。「雨が降ったら嫌な気分になる」「晴れた日には清々しい気分になる」など…
「雨が降った」「晴れた」という現象に対して、「私」が「プラス(良い)」や「マイナス(悪い)」の評価をしているにすぎません。
このように、天気一つとっても「悪口」が日常化しているわけですから、人生には「悪口」が充満しているということ、少しはわかっていただけますでしょうか?
私自身、以前は「人間には喜怒哀楽の感情があり煩悩がある。弱く不完全な存在なのだから、気に入らないことがあれば愚痴や文句を言うのは自然だ」と考えていました。
でも、今はそうは思いません。天気の悪口は、天に向かって「あなたのやっていることは気に入りません」と「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を投げかけていることと同じかもしれません。
もっと身近な例で考えてみましょう。
例えば、あなたの父親が末期ガンで余命半年になったとしましょう。その父親が「苦しい!しんどい!俺の人生は最悪だぁ!」と嘆き苦しんでばかりいたらどうでしょう?本人のみならず、家族や周囲の人々も不幸だとは思いませんか?
一方で、「今日も見舞いに来てくれてありがとう!君達がいてくれて、俺の人生は幸せだったなぁ!」と笑顔で言ってくれたらどうでしょう?きっと、苦しみや悲しみの中にも幸せが溢れているとは思いませんか?
「末期ガン」や「雨」といった現象はゼロの状態です。それを、「苦しい」「嫌だ」とわざわざ「マイナス」にとらえるか、「ありがとう」「幸せだ」と「プラス」にとらえるかはその人次第です。後者の方が人生は楽しいと思いませんか?
以前、友人たちとドライブをしていたときのことです。視界いっぱいに広がる大海原に素敵な夕焼け。とてもきれいな風景だったので「わぁ、きれい!」と皆口々に述べ、感動を共有していました。
しかし、その中に一人だけ「こんな夕焼けどこにでもあるし普通じゃない?」と言ったひねくれ者がいました。
この彼の発言には2つの問題が含まれています。
ひとつは、人が「きれいだ」と言っていることに対して「わざわざ否定的な感想を言わなくてもよい」ということ。もうひとつは、「頻繁にあるからといって喜ばない理由にはならない」ということです。
目の前の現象に否定的な感想を言って、いったい誰の得になるのでしょう?本人がそれで楽しいのであれば、どうぞ独り言で言ってください。「でも、周囲の人たちは巻き込まないで!」と言いたいです!
毎日の天候についてすら否定的な感想を言い続けている人 (依存症患者) は、家族・友人・職場の人間関係・仕事・恋愛など、自分をとりまく全ての事象について「問題」を探し続けているはずです。
「あれはダメ!」「これもダメ!」と
永遠に…
その結果、悩み・苦しみに囲まれた人生を歩み続けていくことになるのです。
人は、ネガティブな発言ばかりを続けていると孤独になります。周囲から疎まれ、アンハッピーになります。笑顔がなくなります。成長しません。そんな人生は「食べて寝る」だけの動物的人生にすぎません。
周囲に煙たがられる人生…
笑顔なき人生…
あなたはそんな人生に満足できるでしょうか?
少しだけ真面目に考えてみてくださいね!
皆さんが笑顔溢れる人生を謳歌していけますように!