自殺もあり得た島田洋七のジェットコースター人生

 

1980年代の第1次お笑い漫才ブームを牽引したB&Bの島田洋七さんは、ブームが終わった後仕事がなくなり「死」がよぎったそうです。

そんな時に救ってくれたのが盟友のビートたけしさん。

 

今回は、栄光の頂点から一気に奈落の底へと転落し、自殺をも考えていた洋七さんがどうやって立ち直っていったのか。その軌跡を振り返ってみたいと思います。

(以下、敬称略で記載していきますね)

 

 

 

 たけしとの友情、馴れ初め 

二人の接点となったのは横山やすしでした。やっさんに「おい、東京のおもろい芸人を紹介するから行こう」と言われ、千葉の食堂に連れて行かれた洋七。初対面の頃は互いに距離を感じ、「島田くん」「北野くん」と呼び合っていたそうな。

その後仲良くなったきっかけは、二人でタクシーに乗ろうとした際互いに小銭しかなく、5時間ほど歩いて帰ったこと。これを機に、二人の関係は深くなっていったのです。

 

 

 

 漫才ブームは去り… 

その後空前の漫才ブームが巻き起こり、二人はそれぞれ売れに売れました。

漫才ブーム時のツービートとB&B

 

しかし…

ブームは去り…

島田洋七はテレビから消えてしまうことになるのです。

 

さんま紳助は、早い内から舞台とテレビの両方をこなし、バラエティーのMCやトーク番組中心のエンターティナーの仕事にシフト。

一方、他の漫才師たちは舞台芸を重要視して、テレビからある程度距離を置き始めます。

 

B&Bはというと、特異な存在のさんまや紳助と同時期にブレイクした為、潮時を見誤ってしまいます。給料の面で揉め、吉本興業を離れ独立していた島田は、コンビを解散し、仕事が全くない状態になってしまったのです。

 

 

 

 その後は人生のどん底 

 

人生逆転を狙った政治家への転身はあっけなく落選。始めた副業もうまくいかず、多額の借金をこさえてしまいます。

 

「俺、死のうかな…」

「生きてても仕方ない…」

この時、本気で自殺を考えるほど追い込まれていました。

 

自殺を考えた島田洋七のどん底人生

 

「たけしはガンガン仕事してるのにオレにはすることがない」と自己嫌悪に陥り、不眠症に。睡眠薬を手に「これ飲んだら楽やな」「何も考えんでええ」と自殺が頭をよぎります。

 

 

 

 たけし、洋七を救う 

ついに睡眠薬を飲もうとした時、突然電話が。

「おい、今から飲みに行くぞ!降りてこい!」

 

電話はたけしからでした。洋七が「雨だから行きたくない」と断ると、たけしは「下で待ってるから降りてこい」と六本木に連れ出すのです。

 

「元気ねえな」

「そんなことない…」

 

洋七が「芸能界やめて広島に帰ろうかな」とこぼすと、たけしは「芸能界やめたら友達やめるぜ」「芸人だから友達だろ、俺ら。田舎に帰って真面目な仕事する真面目なお前とオレはどう付き合うんだ」と諭すように告げたといいます。

 

たけしは「明日からオレのメシ作ってよ」と言い、洋七はたけし軍団の分まで作るように。あるとき、軍団のメンバーの話し声が。「殿が相当心配してたな」「洋七さんから目を離すなって言われたしな」と。

洋七は、料理を作りながら涙がボロボロ溢れました。そしてメチャクチャに泣きました。

 

悔し涙、嬉し涙

 

 

 

 自殺を思いとどまらせてくれた二人 

自殺を思いとどまらせてくれたのは、たけしと、売れていない頃からず〜っと支えてくれた嫁。彼女はいつも横にいて付き添ってくれていたのです。そのおかげで自殺をせずに済みました。しかし、借金は増え続け、DVをしてしまったためついに離婚。。。

 

洋七は、失って初めて、嫁の大切さを思い知らされることになったのです。

 

 

 

 再起を図って 

その後、旧友であるビートたけしの紹介で大手事務所オスカーに入れてもらい、小さい仕事でも文句を言わず懸命に働き借金を返済。さらに15歳下の女性と再婚。

恩を仇で返した形となってしまった元嫁に対する懺悔の念だけが、いつも心のどこかに残っていました。

・・・

2016年、テレビ番組の企画で元嫁と再会!
島田は、当時苦労させてしまったことを深く謝罪。「自分のように天狗になって道を誤ってはならない!」と視聴者にも強く訴えかけます。

 

確かに、元嫁にはひどいことをしてしまったのかもしれませんが、島田には義理人情の心があります。

 

 

 

 たけしが芸能界を追放された時 

ビートたけしのフライデー襲撃事件の真相とは

 

たけしが出版会社フライデーを襲撃し、逮捕されて芸能界を追放された時、島田洋七だけが3回もたけしに会いに行ったのです!!

たけしは「売れていた時はみんな集まってきたけど、一番辛い時に会いに来てくれたのは洋七だけだ」と感動したそうです。

 

 

 

 たけしに救われて「佐賀のがばいばあちゃん」が大ヒット 

たけしに「本を書きたいと思っているんだけど」と相談すると、「じゃあ悩んでないでホテルに1か月こもりなよ!」とアドバイスされホテル暮らしスタート!

1作目の「振り向けば哀しくもなく」の後、「佐賀のがばいばあちゃん」が大ヒット!(自費出版で手売りからの大ヒットなんです!)

 

 

こうやって、洋七とたけしの二人は、酸いも甘いも知り尽くした人生を共に歩んできたのです。

 

いかがでしたか?

 

真の友情って本当にいいものですね〜

 

ビートたけしと島田洋七の友情

 

 

 

 島田洋七の名言集 

 

◯ 見栄を張るな、誰も見てない

◯ 「コツコツやっても」と思う前にコツコツやれ

◯ 売れる、売れないには運もある

◯ 人間、前を向くようにできてるもんや

◯ 苦労は幸せになるための準備運動

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。(^_^)

 

 

島田 洋七
本名徳永 昭広(とくなが あきひろ)
生年月日1950年2月10日
出身地広島市
身長164cm
方言関西弁、佐賀弁
最終学歴広島工業大学中退
師匠島田洋之介・今喜多代
コンビ名B&B
相方島田洋八
芸風漫才(ボケ)
血液型O型
事務所オスカープロモーション
活動時期1972年〜
同期ビートたけし など
作品著書 『佐賀のがばいばあちゃん』

 

 

関連記事: