戒名の基礎知識【まとめ】

 

故人の多くが死後につけてもらう仏様としての名前を「戒名」といいます。「〇〇院××居士」という形が主ですが、宗派によって若干異なります。位牌に記される「戒名」は本来、出家して仏の弟子になった人に授けられる名前です。 現在では、亡くなった人に対して菩提寺の住職から (菩提寺のない方は葬儀を行った僧侶から) 故人に授けられるのが一般的となっています。つまりは、仏式をもって葬儀を行い、その式を通して故人が受戒し、死後に仏弟子となったという意味で戒名が与えられるのです。

この戒名は、仏教が (発祥地のインドから) 中国に伝えられた後に定められました。日本では (中国経由のため) 最初から戒名が取り入れられていました。当初のそれは出家剃髪した者に与えられたもの。しかしその後、在家でも (出家しなくても) 戒名を受けることができるようになったのです。日本の葬儀は、僧侶の葬儀形式を俗人向けにアレンジしたものです。そこで二つの方法が考えられました。一つは生前に戒名を頂きその戒名で葬儀を営む形。もう一つは死後に戒名を与え、引導を与えてあの世へ送るという形です。

 

「戒名」は2文字

多くの方は、位牌に記されている文字全体を「戒名」と呼んでいるようですが、もともとは「生前の俗名や行い」をもとに経典にちなんだ二文字で表されます。この二文字に院号・道号・位号などを加えた文字の総称を一般的に「戒名」と呼んでいるようです。ちなみに戒名は、浄土真宗では法名、日蓮宗では法号とも呼ばれています。 

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天皇も武田信玄も持つ「戒名」

奈良時代の僧・行基 (ぎょうき:668~749) は聖武天皇の帰依 (服従しすがること) を受けて大仏造営にあずかり、大僧正位を授けられました。その後彼は聖武天皇、皇后、中宮を出家させて法弟とし、それぞれの戒名を勝満、万福、徳満としたのです。また孝謙天皇も同じく行基よって戒を受け尼となり、法基という戒名を与えられました。

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47の戒名

「戒名」に故人の名前の一字を取ることは現在多く行われている手法ではありますが、昔はそうではありませんでした。元禄15年 (1702年) 12月14日夜、江戸本所に吉良義央の首級をあげて主君の仇を討った大石良雄以下46人の墓は、高輪の泉岳寺 (曹洞宗の寺)にあります。彼らの戒名は以下の通りです。(浅野、大石を除き年齢順に並べた。ちなみに彼らの平均年齢は38歳)

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各宗派の戒名
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作家の戒名と墓
樋口一葉 (~1896)作家智相院釋妙葉信女築地本願寺(東京)
福沢諭吉 (~1901)思想家竜徳院宏文有明居士賢崇寺(東京)
正岡子規 (~1902)歌人 子規居士大竜寺(東京)
小泉八雲 (~1904)作家正覚院浄華八雲居士雑司ケ谷墓地(東京)
長沢節 (~1915)作家顕節院秀岳義文居士共同墓地(茨城)
夏目漱石 (~1916)作家文献院古道漱石居士雑司ケ谷墓地(東京)

 

 

「生前戒名」のすすめ

近頃は「終活」の普及もあって、「生前戒名」(逆修牌) を授かる人が増えてきています。残される人に迷惑がかからないように、生前のうちに自身の葬儀・墓・戒名などを決めてしまうわけです。そもそも、本来の「戒名」は生きているうちに授かるものですし、「残りの人生を仏教徒として安らかな気持ちで過ごせる」「残された者への経済的負担を軽くすることができる」といったメリットがあるようです。

※ 逆修牌…生前に墓をつくり、名前を朱文字で入れておくものを逆修墓 (ぎゃくしゅばか) といいますが、これと同じように生きているうちにつくる位牌のこと

 

一般的に、生前戒名を授けてもらうためにはお寺で「受戒会」などの儀式を通過する必要があります。お寺によっては死後よりも戒名料が安くなり、さらに戒名を雅号として使用できるなどのメリットがあります。

しかしながら、戒名を授かった寺の宗派と納骨される寺の宗派が違う場合、納骨を拒否される場合があり、戒名料を二重で支払うことにもなりかねませんので注意が必要です。宗旨宗派を問わない民営霊園の場合は問題ありません。