戒名は不要だというお話

 

戒名は「戒律を守ると誓った仏教徒に与えられる名前」のことで、仏弟子になった証として故人に送られます。本来は生前に授かっておくべきものですが、実際のところ、「死去」を機にお寺にお金を払って授けてもらうのが慣習となっています。宗派によって考え方は異なり、浄土真宗系では「法名」、日蓮宗系では「法号」と呼んでいます。

ここでおさらい!本当の意味での「戒名」は亡くなってから付けられる名前ではありません。俗名を捨てて仏弟子になった証として出家の際に与えられるもので、生前に授かるものでした。ただ、出家をせずに在家のままでも戒名を受けられるようにしたことで現在の形となったのです。

 

中国で誕生した「戒名」

(日本の葬儀の9割を占める) 仏式の葬儀になくてはならないのが戒名です。祭壇の中央には位牌 (戒名)と遺影が祭られます。でも…ちょっと考えてみてください。生花の大きさに比べて戒名はなんと小さいことか。つまり、「戒名」は葬儀のために急いで間に合わせているだけのもの…と解釈することができます。そもそも、仏教発祥の地インドに戒名というものはありません。中国に伝わった仏教に中国の儒教の習わしが加わって「位牌」が生まれ、「戒名」が誕生したのです。

仏教の開祖・お釈迦様の時代にも、その後の仏典にも、実名を改めて戒名を名乗るといった制度はありません。つまり、「戒名」発祥の地は中国です。ちなみに仏教の中国伝来は1世紀頃で、サンスクリット仏典の漢訳は2世紀になります。その頃の中国には、高貴な人の実名を直接お呼びすることを畏れ多いとする実名敬避の習俗がありました。この実名敬避の習俗は、「周」時代から「漢」時代にかけて「礼制」へと高められ、実名を諱 (イミナ) と称し直接呼ぶのを避け、その代わりに男子は元服すると実名とは別の名前「字 (アザナ)」で呼ぶことを礼儀としていました。

このような習慣の中で、出家信者の道を歩むにあたって「俗名」を改め「戒名」を名乗るという考え方は自然だったのでしょう。その後、日本で最初に正式な授戒をしたのは聖武天皇です。754年に中国からの渡来僧・鑑真 (がんじん:688年〜763年) によって「勝満」の戒名を授かりました。こうして日本に入ってきた戒名は、本格的に室町・江戸時代に広まっていったと言われています。

 

 

死後戒名の功罪

戒名は本来「生前中に授けられた」ものです。しかしながら、室町時代のお坊さんが「死後に戒名をつける制度」を考案し、江戸時代に一般化されたのです。戒名には「死者の功徳を讃えてつける」という意味がありますから、お金さえ絡まなければ結構なこと (存在意義があること) だと思います。江戸時代以降、死者の供養は「読経」と「戒名授与」によってなされ、ご遺族の悲しみと不安を除いてきました。これは日本独自の文化であり、戒名の功の部分とも言えるでしょう。

さて、資本主義経済では「需要」が増えれば「価格」は高騰します。どれほど崇高な信仰心を抱いている僧侶であっても、仏道をなりわいとし生活していくためには、社会の経済法則に支配されます。檀家たちが「院・居士」の位牌を見て「立派な戒名だね。」「たとえ数十万円かかっても、故人への恩返しだと思えば安いものだよ。」と満足するならば、それはそれでいいことです。

しかしながら一方で、致し方なく「俗名」や「信士(信女)」をつけた位牌を前に申し訳なさそうにする遺族の姿もあります。この差別感はいったい何なのでしょうか?思うに、現在の「戒名」制度は社会秩序の反映であり、権力 (金) があれば良い戒名を手に入れ、庶民はそこそこの戒名に甘んじる…といった具合のようです。(江戸時代からの比較的新しい) 慣習に惑わされず、葬儀から戒名を切り離すことも一つの立派な考え方だと思うのです。

 

 

戒名は絶対に必要?

「戒名」が必要か否かについては、個人個人の考え方や信仰している宗教にもよるでしょう。日本で行われている葬儀のほとんどは仏式なので、通常「戒名」がなければ葬儀は執り行うことはできません。しかしながら無宗教の葬儀の場合、俗世の名前「俗名」で葬儀を執り行いますし、俗名を位牌に名入れすることもあります。また、神道の神葬祭やキリスト教式の葬儀ではそもそも戒名はありません。神道の場合、戒名に相当するものとして「諡号 (おくりな)」「霊名」というものがあります。このように、葬儀を執り行うことだけを考えれば、仏式以外の葬儀を行えば戒名は必ずしも必要ではないのです。

事実、近年は「戒名って本当に必要なの?」と疑問に感じている方が増えてきています。戒名を授かるにはお金が必要。でも、必要ないものに無駄なお金は使いたくない。「そもそも戒名って本当に必要なの?」となるわけです。(真の) 仏教徒でもないのに戒名を授かるというのはおかしな話だという考え方もあります。 とはいえ、仏式で葬式を行った場合、僧侶が亡くなった方を仏の世界へと送り出すために戒名を授けるのです (俗名のままでは仏の世界に行けないらしい)。

 

 

戒名を授からない場合のデメリット

故人や家族の意向で「戒名は要らない」と考えるのも一つの立派な考え方です。敬虔な仏教徒以外の方であれば尚更です。一方で、納骨のことまで考慮すると、戒名がないと困る事態になる場合もあります。菩提寺がある方は、「戒名がなければお墓に入れない」という問題も起こり得ます。先祖代々のお墓に入る場合にも何かしらのルールに従う必要があります。

また、「菩提寺以外のお寺で戒名を授かる」「自分で戒名を決める」場合、菩提寺はその戒名を受け入れてくれないでしょう。場合によっては「菩提寺から納骨を拒否される」「改めて戒名を付け直させられる」といったことにもなりかねません。選択の自由が存在しない、なんとも理不尽な慣習ですね。

 

 

戒名が不要な場合はどうする?

例えば、実業家の白洲次郎さん夫妻や俳優の平幹二朗さんなどは戒名をつけていません。あなただって、信念を貫いてそんな選択をすることだって可能です。いざ「戒名を必要としない」と決断したら、「公営墓地」「宗旨宗派不問の民営墓地」「永代供養墓」「納骨堂」など、仏教徒以外でも納骨できる墓地を選ぶといいでしょう。もともとあった菩提寺のお墓を墓じまいして、新しいお墓に改葬、新しいお墓に移って先祖と一緒にお墓に入るといったケースもあります。

 

 

まとめ

戒名の必要性については様々な考え方があります。くれぐれも後で後悔しないようにしてください。可能であれば、菩提寺の僧侶や信頼できる聖職者に相談し、「ある程度の希望を伝える」「お布施の目安を伺う」、あるいは葬儀社に間に入っていただくなどして無理のない形で戒名を授与してもらうのも一考です。ちなみに筆者は無宗教でもありますし、(高級外車を乗り回すような) お寺のお坊さんにこれ以上贅沢な暮らしをさせるわけにはいかないといった考えもあります。正直者が馬鹿を見る世の中にはおさらばです (笑)。