発達障害は「障害」ではなく「脳の個性」です

 

この20年あまりで「発達障害の子供が7倍以上に増えた」と言われています。

中学生になっても授業中に立ち歩きをする生徒 (ADHD:注意欠陥多動性障害) や読み書きが困難な生徒 (LD:学習障害 ) 、コミュニケーションが苦手な生徒 (ASD:自閉症スペクトラム) などなど。

 

この問題は近年急速に拡大している感があり、比較的軽い発達障害を持つ児童・生徒が特別支援学校や特別支援学級ではなく、通常の学級に在籍しながら各教科の補充指導などを別室で受けているようです。

しかし、はたして発達障害児は本当に増加しているのでしょうか。

 

おそらく、単に増えたわけではなく、発達障害の診断概念が変わり、「発達障害」と診断される子供たちが増えてきただけなのでしょう。

以前だったら、「ちょっと変わった子」「落ち着きのない子」…などと言われていた子供たちが、今ではすぐ「発達障害児」にされてしまうわけです。

 

つまり、そう診断される子は増えたが、そういうタイプの子が増えたわけではありません。事実、育児や子育てに手を焼いている親たちは、自ら進んで診察を受けに子供を連れてやってくるのです。

そして、「発達障害」の診断名をもらってほっとする親たちも少なくないそうです。「発達障害ブーム」の到来状態なのです。

 

 

 

発達障害と学級崩壊

「ちょっと変わった子」

「落ち着きのない子」

 

昔だったら怒鳴りつけて教室の後ろに立たせたりしていたことでしょう。しかしながら、「障害児」と診断された子をそうするわけにもいきません。

出来る限り、その子に寄り添わねばなりません。とはいえ、その子にばかり時間を使えば「えこひいき」と非難されてしまいます。

 

だからと言って、「みんなで発達障害を理解しよう」とクラス皆で力を合わせて寄り添うわけにもいきません。下手をすると学級崩壊にもなりかねません。

皆さんは、この問題をどうしたらいいと思いますか?

 

 

本気で解決したいのであれば、対応ノウハウを構築し、人的資源をどんどん投入していくべきでしょう。各学校に発達支援教育専門の教師を配置し、1クラスあたりの定員を10〜20人に減らすのです。

そうすればどうしてもカネと手間がかかってしまいますが致し方ありません。

 

でも、これには反対意見も出てくるでしょう。「発達障害と診断されている児童や生徒は100人に1人くらい。その子たちのためにそこまでやる?」

 

 

 

発達障害は個性?

現代社会において、多様性のある柔軟な社会は善しとされています。怒りっぽい人、忘れっぽい人、少し空気が読めない人などいろんな人が共存しているわけですが、事実、このようにひとクセもふたクセもある人たちが肩を寄せ合って社会は形成されているのです。

 

怒りっぽい人  =  熱心な人

忘れっぽい人  =  おおらかな人

空気が読めない人  =  自分をもっている人

 

といった具合に皆がポジティブに解釈してあげれば、世の中の人間関係は円滑にいくのではないでしょうか。

 

 

さて、少子化や教育改革などで「個」を尊重した教育が進められています。つまり、以前と比較すると伸び伸びと育つ子供たちが増えてきているはずなのです。

しかしながらその一方で、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、ディスレクシア(学習障害の一種で読み書きが困難)、自閉症といった障害をもつ子どもたちにとっては依然として生きづらい世の中なのです。

 

本当に、「障害は個性」として社会に受け入れられているのでしょうか?

 

 

 

発達障害は脳の個性である

発達障害の子どもたちは、いわゆる「普通の子ども」とはどこか違います。勉強に集中できなかったり、コミュニケーションをとるのが苦手だったり。。。

こうした「負」の面に注目されると単なる「障害」となってしまうわけなのですが、「脳の多様性」という観点でみていくと、特異な才能が含まれている「脳の個性」でもあるわけです。

 

その才能を活かすべく、それぞれの障害(ADHD、自閉症、ディスレクシア、気分障害=うつなど、不安障害、知的発達の遅れ、統合失調症など)を冷静に分析・理解し、適した教育を施していく必要があると思うのです。

例えば、ADHDの場合は「落ち着きがない」「注意散漫」。つまり、場に馴染めていないのです。ではどうしたらいいのでしょうか。勉強の場を教室ではなく屋外でやってみたら?「注意」が様々にいくADHDの才能は、冒険や探索などで思わぬ才能を発揮するかもしれません。

 

つまり、「脳の個性」をきちんと把握してあげることで「障害」が「才能」に変わり、生活に活かせていけるかもしれないのです。

 

 

 

まとめ

発達障害は「脳の一部の発達が遅れている」と思われるかもしれませんが、けっしてそうではありません。「普通」…ではないかもしれませんが、その分「個性」や「才能」を備えています。

とはいえ、現実は厳しく、一人ひとりが環境に合わせて生きていかなければなりません。時には「差別」「区別」といった困難が待ち構えているかもしれません。

 

そういった中でも、周囲が発達障害の特性を正しく理解してあげることができれば、才能をうまく発揮し様々な仕事に従事することができるのです (芸能界はその最たる環境ですね)。

さあ、可能性と希望を胸に抱いて、笑顔で前に進んでまいりましょう!