重複障害の偉人ヘレンケラー ① 病気で視覚・聴覚を失う
ヘレン・ケラーは「三重苦の聖女」とか「20世紀の奇跡の人」などと言われていますが、では、誰がその奇跡を成し遂げたのでしょうか?
もちろん、ヘレン・ケラーが優れた才能に恵まれ、大変な苦労をしたことは言うまでもありません。しかし、先生のアン・サリバンの生い立ちをみると奇跡の意味がよくわかります。
ここでは計3回にわたってヘレン・ケラーのことを書いていきますが、「サリバン先生も大変な人生を歩んできたんだ」ということも、少しだけ皆さんに知っていただければと思います。
サリバン先生は少女時代を孤児院で過ごし、世の中の惨めさを嫌というほど味わって育ちました。目も悪く、2度目の手術でやっと本の活字が読めるようになったほどでした。
それが、ある人の援助で盲学校に入り、勉強して、新しい人生へと乗り出したのです。
金持ちの子(ヘレン) と貧しい孤児(サリバン) 。境遇は違っても、2人の心臓は同じ鼓動を打っていました。それが巡って大きな奇跡の花を咲かせたのです。
メキシコ湾から温かい風が吹き抜ける、一年中気候の良い土地、アメリカのアラバマ州。。。
ヨーロッパからアメリカ大陸に移ってきた人たちは、ここを開拓し、たくさんの小麦や野菜、美味しい果物が採れるところにしました。
そのアラバマ州の北に、タスカンビアという小さな町があります。
1880年6月27日、町の人たちは、「ケラーさんのところに赤ちゃんが生まれたそうだよ」と噂していました。「ケラーさんってスイス人のケラーさんかい。」「そうだよ。めでたいことだねー。」
ヘレンの父アーサーは、南北戦争で活躍した大尉で、母のケートはバージニア州初代知事の孫。アーサーは奴隷を解放するために一生懸命戦った正義の勇士でしたし、ケートは思慮深く、誰にでも親切な心優しい人でした。
生後6ヶ月、ヘレンは訪ねてくる人誰にでも「こんにちは」と話す利口な女の子でした。そして生後1年。しっかりと一足、一足歩き始めたかと思うと、すぐにヨチヨチと庭を歩き回ったりしました。
けれども、小さなヘレンに幸せな日はそう長くは続きませんでした。やがて2歳になろうとする2月のある日。いつものような元気がないヘレン。高熱を出しグッタリしています。
駆けつけてきた医師は診察を終えると両親に気の毒そうにこう言います。「お子さんは風邪ではありません。急性脳炎です。命も危うい状態です。」
(現在ではしょう紅熱と考えられる髄膜炎に罹患したようです)
あまりのことに、驚きと悲しみを隠しきれない父と母。気を失ってしまうほどでした。そして、小さなヘレンは来る日も来る日も恐ろしい病気と闘い、ベッドの中でコンコンと眠り続けていました。そして…
何日も闘い眠り続けていたヘレンの熱は引いていったのです。
「なんと不思議な…」医師は驚きます。
「ヘレンが助かった!」家中大騒ぎです。大変な喜びようでした。しかし…
ヘレンはママの問いかけにも声を出そうとしません。ただ、人形のように黙っているばかりでした。
「奥さん、お子さんは病気のために見る力も聞く力も失ってしまったようです。」
あの、おしゃべりだったヘレンが…
早くから、よく喋っていたヘレンが、ものを言えなくなってしまわなければならないなんて…
あんまりだわ…
目も見えなく、ものも言えなくなって…
こうしてヘレンは、わずか1年と数ヶ月の間だけ、光を見ることができたのです。庭を自由に駈け回って花を見たり、人と話したりできたのは、ほんの短い間だったのです。
光も音もない世界に突き落とされてしまったヘレン。ときに「こんにちは」という言葉を思い出して言うこともありましたが、次第にそれも言わなくなってしまいました。
それでも、気に入らないことがあると、ビックリするほど大きな声を出して泣き出すのでした。ヘレンの泣き声は、まるで恐ろしい狼が吠えるような声に変わってしまいました。
こうして、ただ泣き叫び食べて生きているだけの子供になってしまったのです。今、ヘレンが唯一言える言葉は「水」だけ。
しかも、それをかろうじて聞くことができるのは母のケートのみ。それでも、嗅覚は無事で、庭に出ると気難しい顔をやめ、ユリの花やバラの花を嗅ぎ分け、機嫌よくはしゃぎます。
父のアーサーは、仕事の合間にヘレンを連れて庭へ出るのがただ一つの楽しみでした。
アーサー「ヘレンは、頭はおかされていないようだね」
ケート「私もそう思っていましたわ。」
重複障害の偉人ヘレンケラー ② サリバン先生から学んだ「愛」