敢えて茨の道を選ぶ「野球小僧」川﨑宗則がイチロー母に言った言葉とは
2016年、、、これまでは毎年のように新たな日本人選手のメジャー挑戦が続いていましたが、今年はゼロ。
それでも、田中将大投手やダルビッシュ有投手は右ヒジ負傷からの復帰を目指し、イチロー選手はマーリンズという新天地で新たな野球人生をスタートさせるなど、皆それぞれに頑張っています。
そして、川崎宗則選手…
残念ながら2016年度も、新天地のシカゴ・カブスでマイナー契約からのスタートとなってしまいました。
実は川崎、日本の某球団から年俸20億円を超える契約提示を受けながらも、アメリカでの野球人生を選んでいるんです。安住の地ではなく、敢えて茨の道を…
いったいなぜ?
川崎本人は、メジャーに対して絶対的なこだわりがあるわけではありません。タイミングが合えば日本球界に復帰したいとも考えています。
ただ、2016年度も敢えてメジャーを選択したのは、「厳しい環境に身を置くことで更に野球選手として成長できる」という純朴な向上心があったからなんです。
自身のメジャー生活を、「通用はしてないけど、楽しんではいる(笑)」と語っている川﨑。
「いまだに英語は分からない。キャンプのミーティングもさっぱり。でも、毎年そうだから慣れちゃった(笑)」
「あのグラウンドでノックを受けたりするのが好きなんです。メジャーリーガーとの差は毎日感じてる。野球がうまくなりたくて、彼らのようなプレーがしてみたい。」
今もなお、「野球小僧」の初心を失わない彼の純真で前向きな言葉、いかがですか?
「野球やってりゃ苦しいことも山ほどあるし、腹が立つこともある。いろいろ夢に出てきて、寝られないことだってある。でも、次の日、野球場に行ってボールを投げときゃ忘れるし、走れば忘れてる。もう15年ぐらい、そうやって過ごしてる」
「苦しいことも山ほどあるし、腹が立つこともある」
2001年、鹿児島工業高校からドラフト4位でダイエーに入団した川崎にとって、プロは「1年でクビになる」と確信したほどに異次元の世界でした。そんな彼の支えとなったのがイチローの存在。。。
「あんなに体が細くても凄いプレーをしているイチローさんを見て、清原(和博)さんや秋山(幸二)さんにはなれなくても、イチローさんみたいにはなれるんじゃないか、って閃きがあったんだ。」
「そもそも俺は、イチローさんがいなければプロ野球選手になろうとも思わなかった。中学から高校まで、朝から晩までイチローさんのビデオを擦り切れるまで見てたから。それが俺の青春時代(笑)。お陰で非行に走らず、グレたりすることもなかった。」
そう言えば冬の間、イチローさんのお母さんに会ったんだけど、思わず言っちゃったもんね。『イチローさんを産んでくださって、本当に有難うございました』って(笑)」
42歳にして新天地でグラウンドに立ち、常に「野球が好き」というシンプルな行動原理を貫くイチローと、彼の生き様を範とすることをやめない川崎。強い絆で結ばれた二人の挑戦を、我々ももっと真剣に見てみようではありませんか。
30代でありながら、「アメリカに来て新しいおもちゃを貰った〜!」とはしゃぐ川崎。彼はなぜそんなに楽しそうなのか?プレッシャーはないのか?
そこには、ベースボールを心から楽しみ続ける永遠の”野球小僧”の姿がありました。
10倍の提示を蹴ってのマイナー契約。
川崎宗則もまた、“男気”の選手なのです。