メジャーリーガー川﨑宗則の「元気の秘訣」と「悩みを大きくしないコツ」
子供の頃からホークスファンで、イチローと出会ってからはイチローファン。いや、イチローマニア (^ ^)
イチローの背番号51にちなみ、自身の背番号はイチローの一つ後の番号ということで52。これはホークス時代もWBCの時も変わることはありませんでした。
そんな「大のイチロー好き」川﨑宗則選手は、2013年8月21日、イチロー (ニューヨーク・ヤンキース) が日米通算4,000安打を達成した際、対戦相手の二塁手として出場していました。川崎(トロント・ブルージェイズ) は、
「ボールを盗もうと思って隠そうとしたんだけど、審判にダメって言われちゃいましたぁ (笑)。」
プライベートではダルビッシュ有とも親交があり、ホークス選手中心の軟式野球チーム「宗rinズ」にはダルビッシュも参戦してくれることがあるのだとか。
妻と二人、福岡で英会話教室に通っていたことに触れられ、
「違う違う、英会話の練習じゃなくてヒーローになる練習。ヒーローインタビューの練習をしてたんだ(笑)。“My teammates give me an opportunity.”……あれっ、忘れた、やばい、何だっけ、あっ、“I wanted to do something about it.”だ。」
そう、何にでも前向きな彼は週に2回、英会話教室に行ってヒーローになる練習をしていたのです(^ ^)v
「そりゃ、通訳がいたら助かりますけど、チームメイトが助けてくれますから。英語がわからなくても、“I don’t need translator!”(通訳は必要ない)“Because I have you!”(オレにはお前らがいるじゃねえか)。この“you”のところでアクションつけて、でかい声で言えば、『よし、じゃあ、俺が通訳になってやる』ってヤツが続出(笑)。みんな、一生懸命、ゆっくり話そうとしてくれるんです」
そんな元気いっぱいの彼ですが、ただ元気なだけではありません。プロのスポーツ選手として、人一倍練習し、結果を残してきているんです。
参考までに、これまでの彼の打率を記載しておきますね。アメリカでは出場試合数がそれほど多くないため評価が難しいところなのですが。。。
《ダイエー(ソフトバンク)・ホークス時代》
2001年 :出場わずか1試合のため打率 .000
2002年 :.232
2003年 :.294
2004年 :.303
2005年 :.271
2006年 :.312
2007年 :.329
2008年 :.321
2009年 :.259
2010年 :.316
2011年 :.267
《シアトル・マリナーズ時代》
2012年 :.192
《トロント・ブルージェイズ時代》
2013年 :.229
2014年 :.258
2015年 :.214
マイナーに落とされようが、スタメンを外されようが、川崎は「野球がうまくなりたい」一心で、いつも他の選手のプレーを目を皿のようにして見つめています。そして、あれこれ妄想を膨らませ、今度はああしてみよう、こうしてみようとイメージしているのです。
「野球は苦しむためのものじゃないんです。苦しいと思う気持ちはわかるけど、原点にあるのは、野球はおもしろいということ。」
「オレだって、素から元気なわけじゃない。元気が出ないときもあるし、ストレスもちゃんとある。悩みごともありますよ。でも、グラウンドに立てばスイッチが入る。オレにとっての野球は、たかが野球じゃないんです。野球をすることが最高の生き方だと思ってるから……」
2016年7月、今季2度目のメジャー昇格を果たしたシカゴ・カブスの川崎は、取材陣に「前日までどこにいたんだ?」という意図で「どこから来たんだ?」と尋ねられると、間髪入れず「ジャパン!」
辺りは爆笑の渦に包まれたといいます。
再昇格した川崎の溢れんばかりのエネルギーに同僚たちは「びっくりだよ!まるで10歳児の元気だ」と大絶賛?
日本、カナダ、アメリカ、メジャー、マイナー、どこへ行っても愛される川崎は、元チームメイトからも歓迎されています。
2007〜2008年、ソフトバンクで一緒にプレーした助っ人外国人投手CJ・ニコースキーは、川崎がメジャーでプレーする姿に大感激!「ムネがアメリカでもファンから愛され、成功する姿を見ると、自分のことのように嬉しいんだ」
渡米後も元気いっぱいで、懸命にプレーする姿が皆の共感を呼び、底抜けに明るいキャラクターがファンの心を虜にしていますが、何よりも、絶対に諦めない姿が素晴らしいのです ☆