元おニャン子メンバーが語る「生かされている」ことへの感謝
華やかな世界に生きる芸能人であっても、どんなに健康に気を遣っている人であっても、病気は無差別に、誰かのもとにやって来ます。
「なぜ自分が…」
とひどく傷つき、深く悲しみ、やるせない気持ちになってしまうことだってあるでしょう。それでも人間は、その苦しみを乗り越え、成長し、何かを学び取っていかなければならないのです。
今回は、かつての大人気アイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーの闘病生活を通して、「生きるとは何なのか」「絆がいかに大事なものなのか」について共に学んでまいりましょう。
元おニャン子クラブの新田恵利さんは、2013年にテレビ番組の企画で行った健康診断で発見された「脳動脈瘤」を1年に一度、経過観察してきました。2014、2015年は腫瘍が大きくならず変化はなかったのですが、「ちょっと安心していた」2016年の検査結果で腫瘍が大きくなっていたのです。
その後、
凄腕の担当医が「難しい手術でした…」というほどのオペを無事に終え、現在は少しずつ快方へと向かっているようです。
新田さんは術後にこう語っています。
「『死』というものとの距離が縮まった時、そしてその時が過ぎ去った時、改めて『生かされている』事に感謝です」
2011年に乳がんとなり、2015年秋までに右乳房全摘と再建の手術を計5回行い、現在は講演活動などで自身の経験を伝え続けている元おニャン子クラブで女優の生稲晃子さんは、こう振り返っています。
「怖くて触ることができませんでした。しこりに触るのが怖くて…」
2011年1月に受けた人間ドックで右胸の異変が発覚。
4月28日の43歳の誕生日に「初期の浸潤性乳頭胆管がん」と宣告された生稲さんは娘に「手術をしなければ、ママは死んでしまうかもしれない」と話し、5月に患部の摘出手術を受けたのです。
2度の再発を経て、2013年12月に4度目の手術で右乳房を全摘出した生稲さんは、当時7歳だった1人娘に「ママの右のおっぱいがなくなってしまうんだよ」と打ち明けます。
手術の3日前、娘とのいい思い出にしようとクリスマスイブの12月24日に銭湯へ。「これが、この子と銭湯に行く最後かと思って…。」
「とっても楽しいけれど、とっても悲しい日でもありました…」と涙ながらに話してくれました。
手術後、自宅で一緒にお風呂に入るとき、右胸に水滴がかからないようにしてくれたという娘。その思いやりとサポートに感謝するように涙を流す生稲さん。
「右の乳房は自分に命を与えてくれるために去っていってくれたんだと思いました。右胸にありがとう、さようならという思いでした」
2011年からの5年間、仕事をしながら公表はしない闘病生活が続きます。「私、何か悪いことしたのかな。バチがあたったのかな。神様はいないのかもしれない…」と激しい心の葛藤にさいなまれた時期のあったようです。
2回目の再発のときには本当に気持ちが折れてしまい、「ダメになってしまった」と悲しみのどん底に暮れた思いを吐露されています。
そんな生稲さんは大切な家族からのサポートを受け、生活は少しずつ好転してきています。2014年からは再建手術の専門医にかかり、右胸に少しずつ食塩水を入れ、皮膚を伸ばす治療を始めました。自然なふくらみを取り戻すためなのです。
「今はすごく自然で柔らかい」と少し笑顔に ☆
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