益子直美さんの「不妊治療からの卒業」理由は夫婦の絆
現代の日本社会において、不妊治療を経験する夫婦は6組に1組とも言われています。誰もが子供を授かるわけではないのです。そこで問題となってくるのが「治療をやめるタイミング」です。
経済的、身体的、精神的に追い詰められ、いざ決断となった時、あなたならどうしますか?
今回は、元女子バレーボール日本代表の益子直美さんのケースを見ながら皆さんと一緒に考えていきたいなと思っています。
すらりとした体形と可愛らしい笑顔で人気を集めた元女子バレーボール日本代表の益子直美さんは、現役引退後、タレントとして活動してきました。そんな益子さんが12歳年下の自転車レーサーの夫と結婚したのは40歳のとき。
「常に健康に気を使い身体を鍛えていました。赤ちゃんは自然にできるだろう、という変な自信もありました」
しかし、なかなか妊娠せず、42歳の時に病院へ行く決断をしたのです。そしてすぐに体外受精を始めたのですが、全身麻酔で臨んだ最初の採卵の結果は、、、
3個
厳しい現実を突きつけられました。体外受精1回あたりの費用は約30万~60万円と高額です。費用はもとより不妊治療には精神的苦痛と身体的負担もかかります。このとき夫は益子さんの体調を何より心配したといいます。
「不妊治療は45歳までにしよう」
夫婦の間でゴールが決まりました。それからは、仕事を減らし、お酒を控え、排卵日には夫が遠征している長野県内のホテルまで車で駆けつけました。
「あの3年間は本当に時間が経つのが早かった。1カ月に一度の排卵を引き留めたい一心でした。日が暮れることも朝が来ることも怖かった」
友人たちの「不妊治療やめたらできるんじゃない?」という何げない言葉に傷つきもしました。「この年齢でやめてもできるわけないじゃない…」と心の中で叫び、次第に誰とも会いたくなくなっていったのです。
結局、採卵した卵子は育たず、一度も子宮に戻せないまま45歳になり治療を終えることとなったのです。
日本産科婦人科学会によりますと、国内で実施された体外受精などの生殖補助医療は、2005年に約12万5千件、2013年には約36万9千件と急激に増え続けているのです。
(生殖医療で生まれた赤ちゃんは、2013年は4万2554人)
近年では、40代半ばで妊娠する人もけっして珍しいことではないのです。そんな中、
「治療すればきっと授かることができる!」
そう信じ、病院に通う人たちが増えてきている一方で、その実、1回の治療における出産確率は39歳以下が10.3~21.4%、45歳以上は1%を下回るという厳しい現実があるのです。
「1%以下の可能性しかないものはもはや医療ではありません。不妊治療の終わりを一緒に見据えることも医師の責任なんです」
年齢とともに薄々自分の限界を感じ始めている幾多の夫婦。。。
けれど、翌月になるとやっぱり生理がくる。「まだ大丈夫だ」と信じて、心身ともにつらい治療を続けてしまう現状に、ある医師は「終結」という選択を示そうと考えています。
それでも、「治療 = 希望」であるがゆえに、なかなか治療をやめられない人たちが少なからずいるのです。
「そう簡単には諦められない!」
そんな患者さんたちは、心にどう折り合いをつけていくのでしょうか?
「夫にも自分にも何ひとつ原因がない!」
「必ず授かるはず!」
そう思い詰め、周囲の意見が全く耳に入ってこない妻。
そんな女性の一人だったAさんは、ある時「自分のことだけ考えていてはいけないな。両親に夫、周囲の人たち、そして私自身のことも大事にしたい」と思えたといいます。
その後Aさんは自然と治療から卒業することができました。
ある専門家はこう述べています。
「ゴールを『妊娠するまで』とするから辛くなるんです。一年一年、体調や金銭面について夫婦でよく話し合い、ゴールを決めていけばいいんです」
「どうしても子供が欲しい」という強い思いとは裏腹に、高齢出産ともなると「染色体の異常」や「流産が増える」といったリスクが高くなることも忘れてはいけません。
ある段階で、少しずつ、子どものいない人生と向き合っていく必要もあると思うのです。
冒頭の益子さんの場合、「45歳まで」と最初に決めていたことが次の人生への足掛かりとなりました。治療をやめて2カ月後、湘南に家を買い、現役を引退した夫とともに自転車店を開く夢に向かって動き出すことができたのです。
不妊治療を終えた益子さんはこう述べています。
「不妊治療は気が済むまでやり通せばいい。でも、やめどきは決めておいたほうがいいと思うんです。妊娠はゴールではなくスタート。年齢も考えて、どこかで踏ん切りをつけて、あとの人生を楽しんでほしいと思うんです。」