延命治療をしない尊厳死・安楽死のススメ

 
超高齢化社会に突入している日本ですが、多くの人は人生の最期を延命措置で終えることが少なくありません。

家族にとっては「少しでも長く生きていてほしい」と願うものですが、本人の立場としては多くの方が尊厳死を望んでいるのもまた事実なのです。

 

ちなみに尊厳死とは、延命治療を断って、人間が人間としての尊厳を保ち、自然死を迎えること。

一方で安楽死という言葉もあり、これは医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めることです。

 

どちらも「不治で末期」「本人の意思による」という共通項はありますが、根本的にこの二つは大きく異なるものです。

 

長寿、加齢、ストレス、食文化の変化などの影響もあり、末期ガンなどに侵され回復する見込みのない患者数は年々増え続けています。

このような状況の下、「自分の死に方は自分で決めたい」「チューブを付けられ寝たきりのような状態で長生きはしたくない」と考えるのももっともなことなのです。

 

 

 

自分の最期は自分で決める「死の権利」について

2014年11月、末期の脳腫瘍を患う米・オレゴン州在住のブリタニー・メイナードさんは、医師から処方された薬により自ら命を絶ちました。
メイナードさんは余命宣告を受けた後、尊厳死 (ニュースなどでは尊厳死と扱っていますが、厳密には安楽死です) が認められているオレゴン州に引っ越していたのです。

 

死の権利
それは、回復不可能な病気等で末期の状態に陥った場合、患者が自分で死に方を決める権利のこと。
メイナードさんはこれを強く望んだわけです。

 

 

 

アメリカにおける「死の方法」

「死の方法」は、オレゴン州の尊厳死法で認められるような医師の幇助を受けた自殺、医師が薬物投与を行う積極的安楽死、延命措置の不開始または中止、苦痛の最大限の除去などが行われる消極的安楽死(日本における「尊厳死」はこれを指す)に分かれ、一部の国や地域でその権利が認められています。

アメリカでは1970年代に最高裁で消極的安楽死を認める判決が出るなど、長い時間をかけて議論がなされてきました。

 

世界的にも広く認められつつある「死の権利」ですが、日本では、「尊厳死は自然死であり、憲法13条の『幸福追求権』に基づくものだが、本人が延命治療を望んでいなくても、家族が親孝行として長生きさせようと考えがち」の状況はまだまだ続いていくことでしょう。

しかし、これからはもっと「本人の意思」が尊重されて然るべきなのです。そのためには、家族のためにも書面にして自分の意思を残すことが大事になってくるでしょう。

 

 

平均寿命が延び続ける中、日本でも自分が選んだ形で“きちんと死ねる”社会が強く求められていきそうです。

 

延命治療をしない尊厳死・安楽死のススメ

 

 

 

医療と介護の違い

まず、医療は病気を治すことに焦点をあてている場なのに対し、介護は心の安らぎを与える場です。

人は誰しも必ず死を迎えます。高齢になるにつれ、体はどんどん衰えますがそれは自然なこと。年と共に食べる量が減り、少しずつ穏やかに命を終えていくわけです。

 

介護施設では、入所している高齢者の方々が平穏に自然な最期を迎えられるよう、日々対応されています。

ここで問題となってくるのが終末期医療であり尊厳死・安楽死なのです。

 

誰だって、苦しみたくはありません。死ぬ時は穏やかでありたいものです。

ところが、医師の立場では「胃ろうをつけなければ栄養が摂取できなくて死んでしまいますよ」と家族に説明し、家族はこれを疑問ことなく従う…

少し前まではこれが一般的でした。

 

 

しかし最近ではこの傾向が少し変わってきています。

 

 

 

口から食べることの大切さ

延命治療をしない尊厳死・安楽死のススメ

まずはじめに、考えてほしいのです。

胃ろうなどの経管栄養は、高齢者の体にとってとても負担の大きい処置だということを!

 

しかし一方で、「少しでも長く生きてほしい…」というご家族の気持ちもよくわかります。「もし延命措置をとらなかったら、寿命は短くなる…」

と思うのです。

 

延命措置を取らなかった場合、自分を責めたり苦しんだりすることもあるでしょう。しかし、もはや栄養をそれほど必要としなくなっている体に、溢れんばかりの栄養を注ぎ込むということがどういうことなのか、よく考えてもらいたいのです。

 

 

 

高齢者にとって食べることは何よりの楽しみ

好きなものを食べたいときに食べられること。これは高齢者にとって何よりの楽しみなのです。

そもそも、自分の口で食べることが「生きること」に繋がっています。五感で食を楽しみ、脳に刺激を与えることは、生きる力になります。

 

自分で食べられる人は、表情が生き生きとしています。一方、胃ろうをつけられた方は表情がなく、ベッドに横たわって息をしているだけです。

事実、本人の希望で胃ろうを外して、自分で食べられるようになった人は何人もいます。皆さん、元気になって表情が戻っています。やはり口からものを食べるということは、生きる力になるものなのです。

 

 

 

日本における「安楽死」

延命治療をしない尊厳死・安楽死のススメ

今後、日本でも「尊厳死」であれば認めていくことができるはずですが、「安楽死」となると話は別です。

日本では、医師による致死薬の処方を受け、自分の志望する時刻を自己決定し、自分で服薬するといったメイナードさんのようなケースはまだ到底受け入れられない状況にあると言っていいでしょう。

 

当然、アメリカでも、メイナードさんが自ら命を絶つことを認める根拠となった法律である「Death with Dignity Act」については反対意見も根強いようです。

 

 

 

それでも、「安楽死」を認めてあげてほしい

 

海外で「安楽死」が許容される要件として以下の4点が挙げられます。

 

(1)患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること

(2)患者は死が避けられず、その末期が迫っていること

(3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと

(4)生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

 

命あるものにとって死は必然で、自然の摂理です。死とは生に対立するものではなく、ひとつの流れの中にあるものです。

死を怖れて自然に逆らうより、一度しかない人生、残された日々を楽しみ、最期まで自分らしく生ききることこそが、見送ったご家族にとっても「よい人生を生きたね」と言えるのではないでしょうか。

 

延命治療をしない尊厳死・安楽死のススメ

 

それは、病魔に襲われもがき苦しんだ末に死ぬことではありません。

自分らしさが残っているうちに、延命治療にこだわらない方法で、穏やかに最期を迎えること。

 

「安楽死」とは、人や動物に苦痛を与えず、死に至らせること。

 

日本では大多数の人が反対意見だとは思いますが、それでも、「尊厳死」を超えて「安楽死」が認められてもいいのではないでしょうか。

 

「苦しい!辛いんだ!頼むから殺してくれ!」と必死で懇願された家族や友人が、殺人者にならなくて済むためにも…
 
 


最終更新日:2017/11/30