発達障害のピアニスト野田あすかを支えた両親の愛
「他者とうまくコミュニケーションが取れない」「対人関係を築くことが困難」「社会生活を送る上で様々な支障がある」
そんな「発達障害」の症状の現れ方は人によって異なります。現在でも認知度が低いため、成人後、社会に出て初めて自分が発達障害だと気付く人も多いのです。
ピアニストの野田あすかさんも支援を受けないまま成長し、成人後に発達障害と診断された1人です。周囲から「感受性が強くユニークな子」と思われていたあすかさんが育った1990年代は、発達障害という言葉はあまり知られていませんでした。
転機は22歳の時。2004年、留学先のウィーンの病院で「自閉症スペクトラム障害」(広汎性発達障害)と診断されたのです。
今回は、そんな野田さんが振り返る「半生」と、いつも支えてくれた両親の「思い」について紹介してみたいと思います ♡
「ピアノの音は私そのものなんです。言葉では自分の気持ちをうまく表現できないけど、ピアノだったら伝えられる!」
野田さんは子供の頃から「自分はみんなとは違う」という違和感がありました。例えば小学校時代、「校庭の草むしりをしなさい」と言われ、言葉通りに受け止めてしまう野田さんは、チャイムが鳴っても次の授業が始まっていることに気付かず、ひたすら草むしりに没頭。「どうして教室に戻ってこないのっ!」と教師に叱られたことも。
「学校生活でも、まるで自分だけ違う世界を生きているような感覚、いつもひとりぼっち。私1人だけ、ポツンと置いて行かれているような感覚でした」
そんな日々を支えてくれたのは、4歳から習っていた大好きなピアノの存在でした。
「私はみんなよりちょっとだけピアノが上手に弾けたので、全校集会のような場ではいつも伴奏を頼まれていました。だから、『今日はピアノが弾けるからがんばろう』って自分の気持ちを奮い立たせて一生懸命学校に行っていたんです。」
周囲から理解されないまま成人した野田さんは、対人関係で不適応を起こし、ストレスが蓄積した結果、解離性障害を発症します。憧れて進学した宮崎大学は中途退学に…
大学を辞めてからは、解離性障害のために入退院を繰り返し、ピアノから離れざるを得ない期間もありました。それでも、「ピアノを弾きたい」思いはやまず、宮崎学園短期大学音楽科の長期履修生となり、恩師・田中幸子教授と出会い、「あなたはあなたのままでいいのよ」と励まされ、初めて自分の音楽を肯定された気持ちになったのです。
そんな野田さんが「自分は発達障害だったんだ」と知ったのは22歳の時。留学先のオーストリア・ウィーンの病院で、自閉症スペクトラム障害と診断されたのです。
発達障害は先天的な脳の機能障害です。本人の性格や「気の持ちよう」で改善できるものではありません。しかし、見た目は健常者となんら変らないため、周囲からは「怠けている」「甘えている」などと誤解されてしまうのです。
野田さんの場合もそうでした。
「いつも『やればできるのに怠けている。もっと頑張りなさい!』と、自分の音楽も人格も否定され続けてきました。」
「ずっと『こんなに頑張っているのになんで私だけできないんだろう?』と自分を責めていました。」
「だから、できないのは私のせいじゃない、障害のせいだったんだと知れてホッとしたんです。もっと早くに知っていれば、解離性障害のような二次障害は起こさなかったのに…」
みんなに合わせるために必死に努力し続け、心が押し潰されそうな日々を送っていた野田さん。障害を受け入れたことで自責の気持ちが減り、穏やかな心境になれたと言います😊
恩師や両親のサポートを受けながら音楽活動を続けているという野田さんは、微笑みながらこう語ってくれました。
「今まで、両親をはじめ周囲の人たちには悲しい思いばかりさせてしまいました。だから、私のピアノを聴いて『ほっとする』と感じ、喜んでもらえるのは普通の人の100倍嬉しいんです!」
野田さんにとって、みんなから送られる拍手は何物にも代えがたい喜びです。「言葉での人とのコミュニケーション難しい。でも、音楽を通じてなら自分の思いを伝えられる!」
「今まで、私の前半生は苦しい試練の連続でした。でも、大好きなピアノがあったからなんとか乗り越えられたんです。だから、みなさんにも自分が大好きなことや心から夢中になれるものを見つけてほしいと思います!」
発達障害は脳の先天的な機能障害が原因で親の養育態度が原因ではありませんが、世間の目はいまだ “親の愛情不足” や ”厳しいしつけのせい”とする誤解が根強くあります。
あすかさんのお母さんは「母親失格!」と周囲から責められ、追い詰められ、地獄のような日々を送ったことがあったそうです。
あすかさんのお父さんは、あすかさんが二次障害による解離性障害の発作を起こし近所を徘徊するなどの症状が出た際には、お互いの手を縛って就寝したこともあったとか。
両親は、障害のことを世間に隠し続けるか、公表するか、悩みに悩み…
「あすかのことを一番に考えるならば、障害を認め、全てを明らかにし、その上でどうやって生きていくかを模索していくことの方が大事」だと結論付けたのです。
あすかさんの就職や結婚のことを考え、障害を公表しない方が良いという考えもありましたが、夫婦で連日深夜まで話し合った結果、親亡き後のことまで考えて、公表する道を選びます。
「私たち親がいなくても、ひとりでちゃんと自立して生きていけるようになってほしい。そのために、できることはすべてやっていこう」
発達障害の子を持つ親の気持ち、我が子の障害を告知されてから受容に至るまでの心境、本人の苦悩…
当事者になってみないとわからないことばかりですが、同じような発達障害を抱える子、その保護者や支援者にとっても力強いエールとなって響いてくるのではないでしょうか😉
野田あすか(のだ・あすか)
1982年広島県生まれ
4歳の頃から音楽教室に通い始め、10歳からピアノの個人レッスンをスタート。自閉症スペクトラム障害(広汎性発達障害)、二次障害の解離性障害が原因で、自傷、パニック、右下肢不自由、左耳感音難聴を持つ。
2006年、第12回宮日音楽コンクールでグランプリ、全日空ヨーロッパ賞をはじめ受賞歴多数。現在はコンサートを中心に音楽活動を続けている。
2015年には、両親と共著で『CDブック 発達障害のピアニストからの手紙 どうして、まわりとうまくいかないの?』(アスコム刊)を出版。