認知症介護の良き思い出

 

認知症の家族をはじめて介護される方は、様々なことに戸惑われると思います。特に、誰にも相談できず、一人で悩みを抱えながら世話していらっしゃる方のご苦労はいかばかりか…

それでも、誰かの協力を得ながら、認知症という病気のことを正しく理解することで、配慮や工夫ができるようになり、多少なりとも楽に感じられるようになります。

 

認知症患者本人の不安

50代のA子さんは、昨年、80代の父親を亡くしました。認知症の父と病気がちな母を支えながらの介護生活は10年に及びましたが、認知症を早期に発見したことで、父の変化を受けとめ、思い出を作る時間が持てましたと振り返っています。

異変を感じたのは10年前。。。きっかけは、実家の本棚に認知症関連本が増えていたことです。父自身、不安を感じ、つらい思いをしていたのでしょう。この頃から「眠れない」と訴えるようになり、食欲は落ち、うつのような状態になっていました。

 

 

父は熱心な教育者でした。長年勤めていた学校を人工透析治療 (慢性腎不全) のため早期退職し、定年後は俳句や散歩を楽しんでいました。しかし、迷惑で意地悪なご近所さんが多い中、閉塞感を感じていたようです。

加えて、母には知的障害があるため、夫婦間の会話がうまく成立していません。生き甲斐だった仕事を辞めてしまったことで、気を紛らわす術をなくし、次第に心が病んでいったのでしょう。

 

 

 

「認知症」診断と周囲の配慮

そんな父はついに病院で、「初期の認知症」と診断されてしまうのです。これを機に、A子さんは両親を支えるため、実家をしばしば訪れるようになります。はたから見ると穏やかな日々に思えたのかもしれませんが、認知症の症状は日々現れます。

 

 

それでも、抗不安薬や抗認知症薬が効いたのか、日常生活はほぼ支障なく送れるようになり、父が大好きだった温泉旅行もできました。当初は不機嫌そうだった父が楽しそうにしている姿を見ると、A子さん自身、穏やかな気持ちでいられるようになりました。

A子さんが父親との楽しい思い出を作ることができたのは、認知症に早く気づき治療を始められたことが大きかったと思います。

 

 

 

ディサービス & 介護施設利用

もちろん、A子さん一人ではどうすることもできません。数年後にはデイサービスの利用を始めました。スタッフの皆さんが父を「先生」と呼んでくれたからでしょうか。父は機嫌良く通ってくれ、嬉しそうでもありました。

ただ、子ども扱い & 病人扱いされてしまうと一転不機嫌な表情に。この経験からA子さんは、たとえ介護が必要になっても、その人の生きてきた時間に敬意を払って接することはとても大切なことなのだということを学べたと言います。

 

 

次第に父は自宅で転び、ベッドから落ち、幻覚を見たりするようになっていきます。深夜にトイレの世話をしなければならない家族の負担は重く、、、要介護4の認定を受けた父は、ついに車いすの利用も開始。

週2回のデイサービスに加え、週2回はヘルパーさんに来てもらうようになりました (訪問入浴やマッサージも利用)。それでも転倒は度々起き、家族の介護疲れは蓄積されていきます。その後、親族会議が行われ、介護施設に入所する決意をしたのです。

 

それから2年。寝たきりに近い状態になってしまった父。それでも、誰かと一緒に俳句や短歌、エッセーなどを朗読したり、昔話を笑ったりして過ごしていました。そんなある日、看護師さんはA子さんにこう伝えます。

「今日は帰らないほうがいい」と。

 

 

 

おわりに

この時、「(父は) 逝ってしまうんだ」と意識させられたA子さん。結局、そのまま明け方に亡くなってしまいました。穏やかな表情だったと思います。

当然、大切な人が (自分のことも含めて) 様々なことをわからなくなっていくのは悲しいことです。こうしたことから、認知症や介護にはどうしても暗いイメージが付きまとってしまいますが、でも、それだけではありません。

 

辛い中にも、いえ、辛い状況のときだからこそ、真剣に向き合うことでいろんなことを発見することができたりもするのです。心と心で会話することができ、今まで知り得なかったことを知ることができるのです。

こうした心の交流を通じて、「この人は私のお父さんなんだ」と感じることもできます。

 

最期の方は、「自分がどこの誰か」「どこにいるのか」もわからない状態の父でしたが、それでもA子さんは、なぜか心が和んだのです。

父と一緒に過ごした時間。。。

 

一言では言い表せないほどに大変なことも多々ありましたが、介護には、思わずクスッと笑ってしまうような瞬間もあるということを、皆さんにもわかってもらえると嬉しいです。