「定職なしでも幸せ」なタンザニアの常識と時代遅れな日本のサラリーマン
タンザニアの都市部では、人口の7割近くが露天商や日雇い労働などに従事しています。7割も…です。
日本の都市部ではサラリーマンが主流派ですが、タンザニアの都市部では、農村から出稼ぎに出てきて路上販売・零細製造業・日雇い労働などの職を渡り歩く人たちが社会の主流なのです。つまりは「その日暮らし」をしているのです。
残りの34%の中には、家事労働や農業に従事する人も含まれているので、民間の会社員や公務員といった定職に就ける人は全体の2割程度です。彼らはそこそこ裕福な家庭の出身ですが、その中でもいい給料をもらえるのはきちんと大学教育を受けた、政府関係か外資系企業に勤めている人くらいです。
正規の社員であっても、零細商人とほとんど変わらない給料しかもらえないことも珍しくはありません。
そのような社会の事情もあって、タンザニアではあえて定職に就かず、「休みや労働時間をコントロールできる仕事の方がいいや」と正規の職に就かない暮らしを謳歌している人たちが少なくないのです。
正規の職を得る必然性が必ずしもないのです。そんな彼らの中にも当然、食べていくのに精一杯という人がいる一方で、事業に成功して富を手にしている人もいます。
彼らがよく使う言い回しに、「ネズミの道」というものがあります。これは、小さいけれどずる賢い動物とされている「ネズミ」の大群による商業の戦略を指す言葉で、「零細商人たちが大商人や政府よりもうまくやる」という意味で使われます。
例えば、香港に渡って行商をするタンザニアの零細商人の中には、ポケットマネーでコンテナ2台分の商品を購入し、売りさばいている人がいます。
日々、商売で成功するために新しいアイデアを試しては失敗し、成功し。。。ある意味ベンチャー企業の社長みたいな気分でいるんです。
1度ある仕事を始めたらひたすらそれを突き詰めていく…という日本の伝統的な考え方とは違って、彼らは自分たちの置かれている状況に応じてライフスタイルを柔軟に変えていきます。
あれがダメならこれ。これがダメならあれ。転々と、ジプシーのごとく職を転々とする人たち。そんな彼らに希望の表情こそあれ、悲壮感など微塵もありません。
つまりは、特定の仕事のプロになるのではなく、なんでもこなせるジェネラリストになる生き方が彼らの特徴でもあるのです。もちろん、事業がうまくいけばそれを天職として長く続けるのですが、基本的には常に、「何かもっと良い仕事はないか」と探しているのです。
日本だと、1つの職をずっと続けるべきだ、という価値観がありますが、彼らには、1つの事業で失敗したら違う事業に移るという、ある意味リスク分散的な生き方をしているのです。
いかなる事業も不安定なので、1つにかけてもそれだけで成功できるかどうかはわからない。だったら「多様な選択肢があってもいいじゃないか」という発想です。
そんな彼らは失敗したときの対応も慣れたもの。そこでも、「当たればお金持ちになれるぞ」という希望が常にあるのです。
彼らの生き生きとした表情を見ていると、行き当たりばったりの人生も悪くはないな…いやむしろ、過労死で自殺してしまうような社会で生きるよりは断然マシだ…とさえ思えてしまいます。
日本では、義務教育 → 受験 → 就職 → 昇進……と、進むべきレールがある程度決まっていて、そこから外れると “ドロップアウトした” と見られがちですが…
タンザニアの社会には、決まったレールなどありません。親はしょっちゅう引っ越しますし、何歳になったら小学校に入る、という決まりもありません。家庭の事情で休んでいたから小学4年生をもう一度やり直す、みたいなことも珍しくありません。
一度働いてから、30代、40代になってから高校や大学に行くという人も多いのです。
日本にはセーフティネット (生活保護) もありますが、彼らにはそれがありません。全てを自分たちでなんとかしなくてはならないのです。
だからこそ、人間関係をとても重視しています。彼らは、困った人たちがいたらすぐに助けます。自分で編み出した商売上のコツも、すぐ人に教えてしまいます。そうやって協力し合いながら生きているのです。
一見、行き当たりばったりのような暮らしぶりのようであっても、最終的にはどこかの誰かが助けてくれるかもしれないという社会への信頼感がそこにはあるのです。
あるタンザニア人の知人は、私にこう言ったことがあります。「道に人が倒れているのに誰も助けない。日本は冷たい国だ」と。
もちろん、だからタンザニアの人たちは幸せだ、と言っているわけではないのですが、どちらがより人間らしいかと問われれば彼らに軍配が挙がるのではないでしょうか。
不便なことはたくさんありますが、(羨ましいことに) 彼らには、「重病になったらどうしよう」とか「失業したらどうしよう」といった余計な不安などなく、どこか精神的に余裕をもって生きているように感じます。