アルベルト・シュバイツァー ① 心優しき少年時代
アルベルト・シュヴァイツァーは、「20世紀のヒューマニスト」として知られる心優しきドイツ人です。
19世紀生まれの白人でありながら、「人類皆兄弟」としてアフリカのジャングルで人権活動 (医療 & 伝道) を行い、身を粉にして幾多の困難を乗り越え、最終的には遅ればせながらノーベル平和賞を受賞しました。
「30歳までは学問と芸術に精を出そう!それからのちは、他人のために尽くすんだ!」
若くしてこう決意したシュバイツァーは、(自身との約束をしっかりと守り) 30歳を目前に、それまでの名声を惜しげもなく捨て、学生となって医学を修め、赤道直下のアフリカに渡ります。
それから、
(私財を投げ打って) 病院を建て、黒人たちを苦しめている風土病と闘い、争いや迷信から解放する事業に一生を捧げたのです。
本当に素晴らしいことです!
そんなシュバイツァーさんの物語を、計5回に分けてお届けしたいと思います。
まず第一回目の今回は「シュバイツァーさんの少年時代」。短くまとめましたので、気軽に読んでみてくださいね。
それではさっそく始めましょう。
春先のポカポカと暖かい日曜日。アルベルト少年は友達とパチンコで小鳥を打つことになりますが…
アルベルト:「かわいそうだよ。やめようよ。」
友達:「弱虫だなぁ。いいから君も狙いをつけなよ。」
その時です。教会の鐘が鳴り、小鳥のさえずりと混じって、静かに余韻をひきながら流れていきます。その響きを耳にしたとき、アルベルト少年の心に一つの言葉がかすめます。
友達からは「弱虫!」「卑怯者!」と罵られ正直凹みましたが、それでも
「生き物を殺すのは簡単だけど、一度死んでしまったら生き返らせることはできないんだ。」
「罪もない生き物の命を、やたらに奪っていいものだろうか?あの小鳥たちだって、楽しそうに歌を歌っているじゃないか。」
アルベルト少年は本当に弱虫だったのでしょうか?
このアルベルト少年こそ、のちに大学の先生の地位も、世界に知られた音楽家としての名誉も捨て、アフリカの原住民を相手に病院を始めて「世紀の偉人」「原始林の聖者」と呼ばれたシュバイツァー博士の、少年の日の姿なのです。
アルベルト少年は、勝負事となるとつい夢中になってしまい、自分で自分を抑えられなくなる気質を持っていました。
ある日、妹とトランプ遊びをしていたときのことです。
「おいアデーレ、もっと本気になってやれよ」
それでも妹は悔しがることなく、あっさり負けてしまいます。
「そんなやり方があるかっ!バカッ!」
アルベルトはカッとなり妹を殴りつけてしまいました。
しかし、自分でも気の短い性質が怖くなった彼は、その日限り、あらゆる勝負事に加わらないことを固く心に誓い、90歳で亡くなるまでトランプの札を握ることはなかったのです。
(逸話は他にもありますが) この意志の強さが、シュバイツァー博士のその後の活躍の基礎となっているのです。