93歳で関ヶ原に出陣した戦国のレジェンド

 

弓の名手として知られた戦国時代の武将・大島光義 またの名を大島雲八 (うんぱち) 。彼は慶応9年 (1604年) 、97歳の長寿をもって人生を全うしました。生涯、53度の合戦に挑み、度々「感状」を獲得!

この光義の凄いところは、その弓の実力もさることながら、出世の糸口となった織田信長に仕えたのが還暦近くだったこと。その後、豊臣秀吉や徳川家康にも仕え、なんと93歳の時にはあの有名な関ヶ原の合戦にまで参戦していたというのです。

 

 

93歳の現役戦国武将

皆さんは、「アラハン」という言葉を聞いたことがありますでしょうか?これは、アラフォー、アラフィフと同じように、アラウンド・ハンドレッド( = 100歳前後)の人々を指す言葉です。今回取り上げている戦国武将・大島光義さんもその1人!

なんと彼は、血で血を洗う戦国時代に勇猛果敢に大活躍したアラハン武将だったのです。

 

93歳にして、天下分け目の関ヶ原に臨んだというのですから恐るべし…ですね。もちろんこの人物、信長の家臣として一部の戦国マニアにはよく知られた人物なのですが、一般的にはあまり有名な方ではありません。

しかし、真実は小説より奇なり。彼は孤児から身を立て、弓の腕前一つで還暦をすぎてから信長に重用され、秀吉、家康と天下人三代に認められて生涯現役を貫いたのです。その弓の技は「百発百中」!

 

 

 

光義の弓伝説

80代だった彼はある日、当時の主君・豊臣秀次 (秀吉の甥) から「あの塔の天井の小窓に弓を射込んでみせよ!」と命じられます。その塔の高さは約46m。

この不可能にも近い挑戦に対し、光義は10本の矢を放ち10本とも命中させてしまったのです。この一件の後彼は、「仙人」「超人」「神」などと称されることとなるのです。

 

 

そんな彼が生まれたのは1508年。武田信玄や織田信長が生まれるずっと前のこと。1512年には父が戦死して孤児となってしまいます。。。やがて、13歳となった彼は戦さで敵を射殺して「天才少年だ」と周囲を驚かせます。

斎藤道三の重臣・長井道利に仕え、以降「百発百中」と評された腕をもって名を馳せていくこととなるのです。

 

 

 

鉄砲に勝る弓技術

ある時、光義は敵兵から新兵器の鉄砲で狙われます。絶体絶命の大ピンチ!ところが、相手の銃口が火を噴くより早く光義の弓矢がその敵に命中したのです。また、槍で突かれそうになった時には靱 (うつぼ) から矢をさっと抜き出し、敵を射殺したこともあるとか。

若い頃の光義は縦横無尽!弓一本で鉄砲 & 槍を蹴散らす戦国のスーパーマンでした。こうして光義の射芸は他国にも広く知られるようになり、当然隣国の信長の耳にも入ったわけです。

 

長井氏が没落すると信長はさっそくスカウトし、弓大将に (この時光義はすでに還暦間近の齢です)。一説によると、豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃からすでに光義は信長に仕えており、藤吉郎の大ピンチを大太刀で救ったこともあるのだとか (光義は弓だけでなく剣術にも長けていたんです)。

 

 

 

信長 & 秀吉に認められ…

信長 & 家康が浅井・朝倉連合軍に勝利した姉川合戦では、信長の命で先駆けをし、敵を何人も射殺!味方の士気を高めます。その後の長篠の戦い、越前の一揆などでも大活躍!

こうして、老齢にあってもなお若者顔負けの戦いっぷりを見せている光義に感心した信長は光義に新しい名前を与えます。ある戦いで光義は、おばなの穂を束ねた差物をして戦っていました。

 

 

この縦横無尽な活躍を目にした信長は、「その茅花の白くして往来すること白い雲をうがつような働きだ。以降雲八と称するように」と賞賛し、雲八の名を与えたそうです。

その後、信長亡き後も秀吉に重用され、70代にして大名にまで上り詰めたのです。

 

 

 

93歳で関ヶ原へ

秀吉も亡くなり、光義はついに93歳を迎えます (1600年)。この歳で、今度は徳川家康に仕え天下分け目の関ヶ原合戦に従軍することに (従軍まではしていなかったのでは…という説もあります)。

しかしながら戦さの後、家康は光義に真壺と大鷹を送り厚遇しています。晩年は家康に召し出され、射芸や戦功などの昔語りをしていました。さらに家康が駿府城を普請した際には石垣、矢狭間についての意見を求められています。その方面の知識も併せ持っていたからでしょう。

 

 

 

おわりに

「生涯現役」を貫いて隠居せず、弓を引くこと90余年。ある時家康が「なにゆえ、そこまで長生きできたのじゃ」と尋ねると光義はこう答えたといいます。「細かいことにこだわらず、生涯、弓への探究心を持ち続けたことにあるのではないでしょうか。」と。

弓の名手といえば、60歳を過ぎてなお活躍していた『三国志』の黄忠も有名ですね。中国では、歳をとってますます盛んな人のことを「老黄忠」と呼ぶそうです。

 

時代も国も違うとはいえ、そんなレジェンド・黄忠をはるかに超越していたのが大島光義です。鉄砲全盛の時代に、時代遅れの弓ひと筋で生き抜いた戦国のアラハン武将!

晩年の彼は、弓だけでなく刀にも興味を持っていたそうです。そんなバイタリティ溢れる生き方にこそ、健康長寿の秘訣があるのかもしれません。

 

 

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