歴代 (過去の) 紙幣の肖像人物は誰?どんな人?

 

千円・5千円・1万円の3種類のお札 (日本銀行券) デザインが新しくなって、2024年度に発行されることとなりました。千円札には破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎さん、5千円札には日本人初の女子留学生としてアメリカで学んだ津田梅子さん、1万円札には「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一さんとなっています。

さらに500円硬貨も刷新されます。偽造防止を目的に、「素材変更」「2色構造」となって2021年に発行されます。

これを踏まえて今回は、過去の「紙幣肖像の変遷」を簡単にまとめてみました。歴史と常識を少しだけおさらいしておきましょうね。

 

1880年代

日本に初めて肖像お札が登場したのは1881年 (明治14年) のこと (「1円券」)。その後、翌1882年には「5円券」が、1883年には「10円券」が発行されました。その映えある第一号の肖像人物は神功皇后です。彼女は「日本書紀」や「古事記」に登場する伝説の女帝なのです。

神功皇后の「10円券」 1883年 (明治16)

 


2人目の肖像は菅原道真 (845〜903年) 。平安時代の貴族・学者・漢詩人・政治家として活躍した人物で、忠臣として名高く、宇多天皇に重用されていました。その後の醍醐朝では右大臣にまで昇りつめますが、左大臣・藤原時平によって太宰府へと左遷され、そのまま現地で没してしまいます。彼の死後、天変地異が多発したことから「朝廷に祟りをなした」と噂され、天満天神として信仰されることに。現在は「学問の神様」として広く親しまれています。

菅原道眞の「5円券」 1888年 (明治21)

菅原道真の紙幣は1888年の「5円券」を皮切りに、「5円券」(1910年)、「20円券」(1917年)、「5円券」(1930年)、「5円券」(1942年)にも使用されています。

 


3人目の肖像として武内宿禰 (たけうちのすくね) が登場します。「日本書紀」や「古事記」に登場する古代日本の人物で、第12〜16代の天皇に仕えたとされる伝説の忠臣です。

武内宿禰の「1円券」 1889年 (明治22)

武内宿禰の肖像は、1889年の「1円券」、1899年の「5円券」、1916年の「5円券」、1943年の「1円券」、1945年の「200円券」で使用されています。

 

 

1890年代

4人目の肖像は和気清麻呂 (わけのきよまろ:733〜799年) です。奈良時代末期〜平安時代初期に活躍した貴族で、高直な人柄・一身の利益を顧みず忠節を尽くした人物とされています。

和気清麻呂の「10円券」 1890年 (明治23)

和気清麻呂の肖像は、1890年の「10円券」、1899年の「10円券」、1915年の「10円券」、1930年の「10円券」、1943年の「10円券」、1945年の「10円券」で使用されています。

 


5人目の肖像は藤原鎌足 (ふじわらのかまたり:614〜669年) です。飛鳥時代の政治家で、日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖とされています。大化の改新の中心人物で、改新後も中大兄皇子 (天智天皇) の腹心として活躍。

藤原鎌足の「100円券」 1891年 (明治24)

藤原鎌足の肖像は、1891年の「100円券」、1900年の「100円券」、1931年の「20円券」、1945年の「200円券」で使用されています。ちなみに1891年発行のものは、今までで一番大きなサイズだったと言われています。

 

 

1900年代前半

6人目に聖徳太子 (574〜622年) が登場します。飛鳥時代の皇族・政治家で、推古天皇のもと蘇我馬子と共に政治を行っている人物です。遣隋使を派遣し、中国の文化を大いに学び、「冠位十二階」や「十七条の憲法」を定めており、「仏教」を取り入れ神道とともに厚く信仰したことでも知られています。

聖徳太子の「100円券」 1930年 (昭和5)

聖徳太子の肖像は、1930年の「100円券」、1944年の「100円券」、1945年の「100円券」、1946年の「100円券」、1950年の「1,000円券」、1957年の「5,000円券」、1958年の「10,000円券」で使用されています。これまで、最も多くお札に登場した人物はこの聖徳太子です。

 


7人目の肖像は日本武尊 (やまとたけるのみこと) です。「日本書紀」や「古事記」などに伝わる古代日本の皇族で、古代史に残る伝説の英雄とされています。

日本武尊の「1,000円券」 1945年 (昭和20)

 


8人目の肖像は二宮尊徳 (1787〜1856年) です。江戸時代後期の思想家・農政家で通称「金次郎」と呼ばれています。「大事をなさんと思わば小なることを怠らず勤むべし,小積りて大となればなり」という格言を残しており、学校のあちらこちらにある「薪を背負って読書している銅像」はあまりにも有名ですね。

二宮尊徳の「1円券」 1946年 (昭和21)

 


9人目は武士 (土佐藩士) で政治家だった板垣退助 (1837〜1919年) です。自由民権運動の主導者として知られ、「庶民派」の政治家として国民から圧倒的な支持を得ていました。

板垣退助の「50銭」 1948年 (昭和23)

板垣退助の肖像は、1953年の「100円券」でも使用されています。

 

 

1900年代後半

10人目は公家で政治家だった岩倉具視 (1825〜1883年) です。明治維新十傑の一人とされています。

岩倉具視の「500円券」 1951年 (昭和26)

岩倉具視の肖像は、1969年の「500円券」でも使用されています。

 


11人目の肖像は、幕末の武士 (仙台藩士) で明治・大正・昭和と官僚・政治家を務めた高橋是清 (1854〜1936年) です。内閣総理大臣も務めていますが、大蔵大臣としての評価が高い人物で愛称は「ダルマさん」。

高橋是清の「50円券」 1951年 (昭和26)

 


12人目は武士 (長州藩士) で政治家の伊藤博文 (1841〜1909年) です。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣を務め、初代韓国統監なども務めました。外交では日清戦争の勝利によって朝鮮の独立を清国に認めさせたわけですが、1909年に中国のハルビン駅で朝鮮人活動家の安重根に暗殺されてしまいました。

伊藤博文の「1,000円券」 1963年 (昭和38)

 

 

1984年〜

1984年 (昭和59) になると、千円札に夏目漱石、五千円札に新渡戸稲造、一万円札に福沢諭吉が採用されました。

 

夏目漱石 (1867〜1916年) はイギリスへの留学経験を持つ小説家で、代表作に「吾輩は猫である」「坊っちゃん」などがあります。

夏目漱石

 


新渡戸稲造 (1862〜1933年) は教育者・思想家で、農学の研究なども行っていました。また、国際平和を主張し、日米親善に尽力した人物でもあります。東大教授・東京女子大初代学長・国際連盟事務次長でもあり、著書の「武士道」は海外でも翻訳され高く評価されています。

新渡戸稲造

 


福沢諭吉 (1835〜1901年) は武士 (中津藩士) で蘭学者・啓蒙思想家・教育者だった人物で、渡米・渡欧の経験を生かして著書の「西洋事情」で欧米文化の紹介を、ベストセラーとなった「学問のすゝめ」では平等を広く紹介しています。慶應義塾大学の創始者としても有名です。

福沢諭吉

 

 

2000年代〜

西暦2000年の沖縄サミットを記念して、2000円札が発行されました。

表面は沖縄の首里城「守礼の門」、裏面は紫式部となっています。

 


そして2004年になると千円札が野口英世に、五千円札が樋口一葉に変わります。

 

野口英世 (1876〜1928年) は福島県生まれの細菌学者で、ロックフェラー医学研究所で梅毒病原体スピロヘータの純粋培養に成功した人物です。幼少期には左手を大火傷しますが、そんな苦難にもめげず、頑張って医師免許を取得します。北里柴三郎に師事し、南米エクアドルでは黄熱病の病原体を発見。それを証明するためアフリカに渡りますが、現地で黄熱病にかかって死亡。人類のために殉職したとして、世界的に報じられました。

 


樋口一葉 (1872〜1896年) は小説家であり歌人でもありました。代表作に「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などがあります。その才能は高く評価されていたのですが、若くして肺結核のため亡くなってしまいました。