超高齢出産の坂上みきさんに学ぶ子育ての意味
女性の社会進出や晩婚化が進む中、高齢出産(35歳以上の初産)に臨む女性は少なくありません。
タレントの坂上みきさんは2012年、53歳で初めての妊娠を発表し、世間を “超高齢出産”と大騒ぎさせました。
彼女は不妊治療を成功させ、超高齢出産を乗り、現在は育児と仕事を両立させながら頑張っているのです。
「長らく不妊治療をしていたので、自分の中ではやっと授かった、という気持ちがいっぱいで、年齢は心の中でどこかに追いやっていたのでしょうね(笑)」
そう語る坂上さんは、
普通なら妊娠を諦める人も多い40代から不妊治療を開始。周囲には『半分諦めていますから』と言いながら、治療のたびに現実を突きつけられ、辛く悲しい思いを経てようやく授かった一つの命。
「本当に辛かった。泣いて、泣いて、どれだけ泣いたか分からない」
「何度も何度も諦めかけ、それでも、もう1回、もう1回と続けて授かったことには何か意味があるはず。」
残念ながら、世間一般の高齢出産に対する理解はまだまだ少ないのが現状です。もっと教育の現場で、出産について教えてしかるべきだと思います。
そんな中、坂上さんのような方の存在は社会的にもすごく意義のあることだったのではないでしょうか。
一度は流産してしまったものの、「不安」な気持ちを押し殺し不妊治療を継続。
執念の末、見事出産を果たしたのです!
出産後は、幸せを感じる瞬間が圧倒的に多くなったという坂上さん。新たな目標も芽生えたようです。
「53歳で産んだから100歳以上生きる!」
しかしながら、「長生きしなくては」と思う反面、「次の世代がいるからもういつ死んでもいいや」といった相反する感情を生まれたそうです。
面白い変化ですね〜
「他界した母と話したい」
そう話す坂上さんは、「母もこういう気持ちで子育てしてきたのだろうか」と細胞の隅々で実感する感覚が今の充実感に繋がっているようです。
「子育ては、幼い頃の自分に重ね合わせながら追憶の旅をする、とても素敵な時間になっています」
坂上さん、いつまでも家族仲良くお幸せに♡
不妊治療には表と裏があります。
坂上さんの事例は、不妊に悩む方々に強い勇気と希望を与える貴重なケースでしたが、残念ながら悲しい話もあります。
長く苦しい不妊治療の末、ようやく念願の我が子 (五つ子)を妊娠したAさん (30代女性) は、子宮内の胎児数を減らす「減胎手術」のミスにより、一人も出産できませんでした。
このことで、現在病院側と裁判で争っていらっしゃいます。
薬物注入による減胎手術は、母体保護法が定義する人工妊娠中絶に当てはまらず、法的な規制がありません。医療現場でのルール作りも進んでおらず、原告側の代理人弁護士は「減胎手術への理解を深め、安全性を確立するための訴訟としたい」と語っています。
訴状によりますと、同病院で不妊治療を受けていたAさんは2015年、妊娠確率を上げるため排卵誘発剤を複数回投与され五つ子を妊娠。
その後医師の勧めに従い、妊娠8週時に減胎手術を複数回受けたそうです。しかし、最終的に残った2児も流産し、一人も出産することができなかったのです。
原告側の主張はこうです。
「一卵性の双子の一方を減らすと、もう一方も流産する可能性が高い。五つ子の中には一卵性の双子が2組含まれていたのに、医師は術前のエコー検査でそれを見落としていた。」
減胎の対象とすべき胎児と、そうでない胎児を区別できないまま、再手術では女性の腹部に30回以上にわたって減胎のための薬物を注射したとして、注意義務違反があったと訴えているのです。
医学的かつ倫理的なことでもあり、非常に難しい問題ではありますが、不妊に悩む多くの人たちが少しでも安心して治療を受けられるよう、早急に解決していただきたい、そう願ってやみません。