障害者施設で起こる惨劇の背景には無差別テロと同じ○○がある
どんな命にも「これまで」があり、過去があり、今があります。こんな当たり前のことを、ことさら意識する日があります。
2014年7月26日…
長崎県佐世保市で悲惨な事件が発生した日です。
「佐世保高1同級生殺害事件」
理不尽にも、若い命の「今」と「先」がいきなり消された日でした。命はどう遇されるべきかを噛み締めたい…そんな日に、また、凶事が起こってしまったのです。
2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設に元職員の植松容疑者(26)が侵入し、19人が刺されて死亡、26人が重軽傷を負ってしまったのです。力の弱い人たちに、荒々しく、無差別に、力が振るわれてしまうという事件…
残忍の一言しかありません。
男は衆院議長宛に犯行声明まがいの手紙を出していました。
以下、支離滅裂な声明の中から抜粋した文の内容です。
「障害者は気の毒で不幸で、いなくなれば不幸を抑えることができる。だから辛い決断をする。」
容疑者なりの「正義」だか何だか知りませんが、この“世直し” の裏には、どうやら得体の知れない激越な感情が張り付いていたようです。警察の調べに対して、「意思の疎通ができない人たちをナイフで刺したことは間違いない」「障害者を恨んでいた」と話していることからも、普通ではない何かがこの事件の背景にはあるのです。
ところで、
こんな事件が起こる度に問われるのが容疑者の「責任能力」…
いわれもなく「腹いせに」「不意に」襲われ、「今」と「未来」を奪われてしまった犠牲者たちの尊い命を思うと、「責任能力」はあろうがなかろうが、罪の重さに見合った罰を受けるべきだ、と思わずにはいられません。
人種や宗教、性的指向など、特定の属性を憎悪し標的とする犯罪は「ヘイトクライム」(差別犯罪)と呼ばれ、今回の事件もその一つと考えられています。衆院議長に宛てた手紙の文面からは、障害者の存在を否定する価値観が読み取れ、事件の根深さが伺えます。
そこには「歪んだ考え」が存在しているのです。
植松容疑者は、園の職員にも同様の発言をし、「危険な考えだ」と伝えられると退職の意思を示したといいます。
今回、事件の犠牲となったのは知的障害の人たちでした。地域社会で生活するのが難しかったり、親が高齢で面倒を見られなくなった、という理由で、彼らは「社会から忘れられた場所」障害者施設に長期入所し暮らしていたのです。
障害者施設は、仕事がハードで若者が定着しづらいとされる業界です。製造業など、畑違いの分野から転職してくるスタッフも珍しくはありません。
知的障害者はコミュニケーションが取りにくく、物を壊したり多動が見られたりする人も多く、絶えず見守りが必要な存在でもあります。
職員に噛み付いたり殴りかかったりすることも珍しくはありません。そういった事情から、介護と自己防衛のはざまに悩む職員も少なくはなく、ストレスを募らせ、「支援」が「暴力」に形を変えるケースもあるのです。
過去にも、「知的障害者施設内で入所者が職員から暴行を受け死亡する」という事件は何度か発生しています。「支援に行き詰まり、行動障害を抑えるための暴行だった」と話す容疑者たち…
時には職員も逃げ出したくなる…
でも逃げ場がない…
フラストレーションが溜まる…
世界中で発生している無差別テロの背景にもヘイトクライムの思想が潜んでいるのでしょうが、「思いを打ち明けたり、話し合ったりする場のない孤立した障害者施設スタッフが大勢いる社会」。。。というのも大変な問題です。
周りがうまく支援できていれば、今回のような事件にはならなかったのではないだろうか?
そう考えると、何ともやるせない気持ちになってしまいます。