認知症になっても幸せに暮らす秘訣とは
認知症には「悲惨」「壮絶」といったネガティブな要素が多く付いてまわります。自分のいる場所が分からず、自分が誰なのかさえ分からず、徘徊し、失禁し、便を弄び、叫ぶ。そして、その認知症老人に振り回される家族たち・・・。
しかしながら、認知症の中にも「幸せ」はあるのです。
認知症では様々な症状が見られますが、その中で特に特徴的なのは「記憶力の低下」と「見当識の低下」でしょう (見当識は時間と場所に関する感覚です)。
認知症の方は、これらの能力の低下が原因でもの忘れをしたり、食事を食べたこと自体を忘れたり、近所で道に迷ってしまったり、財布を置いた場所が分からなくなったり、家族が盗んだと妄想したり、「自分は◯◯だ」と思い込んでしまったりするのです。
今回は、「認知症の中にある幸せ」について語ってまいりたいと思います。
認知症の人が怒ったり暴力をふるったりする姿を見て、「認知症ってなんて恐ろしい病気なんだろう」と思う方も少なくないことでしょう。
しかしながら、認知症の人が置かれている状況に少しだけ自分の身を置いてみて、想像力を働かせてみてください。そうすれば、彼らへの理解も少しは進んでいくはずです。
例えば、目隠しをされて知らない部屋に連れて行かれたとしたらあなたはどう思うでしょうか?
周りには知らない老人たち…
目隠しを外され周囲を見回してみると、椅子に座ってテレビを観ている老人や、会話をしている老人。知らない場所に知らない人ばかり。「ここはどこ?あなたは誰?私は誰?今日は何月何日なの?」…ともう訳がわかりません。
いつ自分の家に帰ることができるのかすら分かりません。
このように、記憶力・見当識が低下すると似たような形で「時間と場所の感覚」が失われてしまいます。自分がどこにいるのか分かりません。なぜそこにいるのか、これからどうなるのかも分からなくなってしまうのです。
「ここはどこ?」
「自分はなぜここにいるの?」
「さっきまで何をしていた?」
「目の前にいるこの人は誰?」
分からないことだらけで終始「圧倒的な不安」に苛まれている状態…それが認知症なのです。
もうお分かりだと思いますが、認知症の人は多くの能力が全般的に低下します。記憶力や見当識だけでなく、語彙や理解力も低下していきます。
認知症が進行すると、彼らは妄想の世界や過去をベースにした世界を生きるようになります。このような形で、認知症の人はコミュニケーション能力や社会能力を失い、その先には「圧倒的な孤独」が待ち構えているのです。
認知症の人々が抱える不安と孤独な世界…
少しはご理解いただけましたでしょうか?
しかしそれでも (認知症を抱えながらも)、幸せの中に生きている人もいます。そんなストーリーを以下で紹介したいと思います。
あるところに、2人暮らしをしている70代のご夫婦がいらっしゃいました。ご主人はとても進行した認知症を患い、ご婦人は白内障で入院することに。
この時おばあちゃんは、入院中ずっとおじいちゃんのことを心配していました。自分の手術のことよりも、ずっとおじいちゃんのことを心配していたのです。
「早く家に戻らないとおとうさんが…」
「早く治しておとうさんのところに戻りたい」
おじいちゃんがお見舞いに来た時、おばあちゃんがおじいちゃんを見る目を見て、そこに深い愛を感じました。
この時私はハッとしたのです。確かにおじいちゃんはかなり進行した認知症だけれど、こんなにも優しいおばあちゃんと一緒に暮らせて幸せなんだろうなぁ。おばあちゃんも、おじいちゃんが呆けていることを知りながらも自然に接し、寄り添っていられることが幸せなんだろうなぁ、と。
認知症の人は、次第にいろんなことができなくなり、生活に支障が出てきます。それでも、今は昔よりも介護保険制度が充実してきているので、家事・食事介助・排泄介助・入浴介助などのサービスを受けることで、生活を続けることができます。
ただ、当然のことながら、こうした物理的なサービスだけでは、認知症の人が生き生きと暮らすには物足りません。
今回紹介したように、認知症の人が抱える不安や孤独は計り知れません。彼らが安心するためには、家族や親しい人たちの思いやりが一番の処方箋なのです。
どんなにコミュニケーション能力が低下していたとしても、近くにいる人が察してあげたり、彼らの世界観に寄り添う形でコミュニケーションを取ってあげれば、孤独は和らぎ不安は解消されていくのです。
重度の認知症を抱えながらも自宅でうまく生活している人もたくさんいらっしゃいます。
そんな人たちの中には、幸せそうに暮らしている人も多く、彼らと触れ合う度に、家族の絆や愛の大切さといったものを感じるのです。