「世界三大悪妻」のひとりモーツァルトの妻の “真実” に学ぶこと
悪妻とは、「夫が結婚したことを後悔するような品行の妻」もしくは、「周囲の目から見てあのような女性とは結婚したくないと思うような妻」のことです。
「悪妻」や「良妻賢母」という言葉があっても、「悪夫」や「良夫賢父」という言葉がないことから、差別的な括りだとお感じになる方もいるかもしれませんね。
ところで、「歴史上の悪妻」「世界三大悪妻」としてよく名前が挙がるのは、ソクラテスの妻クサンティッペ、トルストイの妻ソフィア・アンドレエヴナ、そしてモーツァルトの妻コンスタンツェです。
今回は、なぜこのコンスタンツェが悪妻とされているのかについて考えてみたいと思います。
日本では一般的に「悪妻」を
- 権力欲が強い
- 嫉妬深い
- 自己主張が強い
- 夫に従順でない
などを基準に考えます。
そんなわけで (どんなわけで?) 、
日本では、源頼朝の妻北条政子や足利義政の妻日野富子あたりに始まり、武田信玄の妻三条の方、徳川家康の妻築山殿、徳川秀忠の妻お江与の方、大友宗麟の妻奈多夫人、千利休の妻おりき、夏目漱石の妻夏目鏡子、森鴎外の妻森志げ、
海外では、アインシュタインの妻エルザ・レーベンタール、初代ローマ皇帝の妻リウィア・ドルシラ、ジョージ・ワシントンの妻マーサ・ワシントン、ハイドンの妻マリア・アンナ・アロイジア・ケラー、リンカーンの妻メアリー・トッド・リンカーン、ジョン・F・ケネディの妻ジャクリーン・ケネディ・オナシスなどが「悪妻」とされています。
幾多の悪妻たちを差し置いて、コンスタンツェが「世界三大悪妻」にその名を連ねる理由はいったい何なのでしょうか?
実は、コンスタンツェの「罪状」については様々なことが言われ、語り継がれてきています。例えば、モーツァルトの才能を理解できず、その享楽的な暮らしぶりに拍車をかけた末に家計を火の車に陥れ、彼が早世する原因を作ったということ。
しかも、ロクな葬式をあげてやることもせず、共同墓穴に葬ってしまったため、遺体は永久に行方不明になってしまったのです。
さらに、夫 (モーツァルト) が亡くなった後は、彼の残した直筆譜を楽譜出版社に売りさばいて巨万の富を成したうえに、今度はデンマークの外交官と再婚し、やがて宮廷顧問官夫人と名乗るまでにいたったのです。
挙句の果てには、生前仲の悪かった舅 (モーツァルトの父) の墓所を乗っ取り、そこに再婚相手と自分の墓を立てたのです。
(このように語られているのです)
これらのことが全て事実であるならば、コンスタンツェが「世界三大悪妻」のひとりと呼ばれているのも頷ける気がします。ただ、「本当のところはよくわからない」というのが現実のようです。
そもそも、モーツァルトの生前における彼女に関する資料自体、ほとんど残っていません。2人はひとつ屋根の下に暮らしていたため、モーツァルトとコンスタンツェの生活ぶりを知る際の手がかりとなるべき手紙がほとんど存在していない、というのがその理由なんです。
また、モーツァルトの葬儀・埋葬の件、直筆譜売却の件、さらには舅の墓所乗っ取りの件も、当時の社会状況に照らし合わせてみれば当然のことをしたまで。彼女が「悪妻」と呼ばれる真の理由は、後世の人間の勝手な推測なのです。
そういったわけで、実のところ、コンスタンツェがどのような人物だったのかははっきりわかっていないのです。にも関わらず、彼女は「悪妻」のレッテルを貼られ、そのイメージが後世にまで残ってしまって…
なんともかわいそうな話です。
まず、コンスタンツェというよりも、モーツァルト自身が、学者や評論家たちによって罵詈雑言といってよい評価を受けています。
これに併せて、コンスタンツェの悪妻ぶりも喧伝され、現在に至るまで収拾のつかない状況が築かれていったようなのです。
しかしながら、モーツァルトやコンスタンツェの評伝を書いた著者たちは皆、コンスタンツェを直接には知らないわけです。ではなぜ、彼女に対するこれほどまでの否定的評価が生まれてしまったのか…
それは、どのような人間の中にも必ず潜んでいるにちがいない、他者を貶めることによって得られる優越感によるものなのです。
「モーツァルトの音楽は素晴らしい!」「彼のことをもっとよく知りたい!」……、このような純粋な好奇心が一歩間違うと、「コンスタンツェは悪妻だった」という図式に繋がっていく場合がある、ということなのです。
本来であればこのような感情を理性によってコントロールする術を心得ているはずのインテリですら、この誘惑からは逃れられないようです。
そんな人間の隠された本性を映し出す鏡として、「コンスタンツェ = 悪妻」説にあるのではないでしょうか?
近年の日本社会を見ているとお分かりだと思いますが、すぐにツイッターで炎上が起こります。これぞまさに、「叩くほどに満たされる優越感」であり、人間は悪魔じゃないのかと疑わずにはおれない事象でもあるのです。
ストレスが多く、心にゆとりを持つことの難しい世の中かもしれませんが、皆さん方にはくれぐれも「悪魔」になって欲しくはない、笑顔の源であってほしいと心から願っております。