90歳前に始めた橋田壽賀子さんの実りある終活

2016年5月、91歳となった脚本家の橋田壽賀子さんは、89歳の時に「終活」に手をつけたそうです。

 

「80代までは新幹線で熱海の自宅から東京へよく出かけたものです。しかし、最近は人混みのある駅に行くのさえ嫌になりました。この辺りは自然が豊か。タヌキやイノシシが姿を見せることもあります。標高400メートルの我が家の目の前には網代湾が広がり、晴れた日には房総半島や三浦半島まで眺めることができます。鳥のさえずりが聞こえます。静かです。居心地がいい。」

 

終活のきっかけは、同じ熱海に住む泉ピン子さんからのこんな一言でした。

「ママは来年90、もう十分年を取っているんだよ」

 

そこで、なるほどと思い、「立つ鳥跡を濁さず」と考えたのです。お手伝いさんたちの手を借りながら、持ち物の整理を始めます。

 

 

 

 橋田壽賀子さん、モノを整理する 

多くの蔵書は熱海市の図書館に寄贈し、資料として取ってあった新聞の切り抜きなどはすべて処分。

100個以上もあるバッグは、欲しい人にあげ、もらい手のなかったものはリサイクルショップで処分。

他にも、倉庫や自宅前に造ったゲストハウス内の荷物もそうやって片付け続けること1年。何十年もかけて溜まっていたものが綺麗さっぱりなくなりました。家の中はすっきり。

 

 

 

 何も残さず爽やかに 

「終活」をするにあたり、「何もない」が一番幸せだと思った橋田さん。

一般的に、人はどうしても見返りを求めてしまいます。「子どもなんて当てにならない」とか「あんなどうしようもない嫁!」などと、そんな恨みがましい心がひょっこり顔を出すのです。

そうではなく、もっとスッパリと、爽やかに最期を締めくくりたいと考えたのです。

 

幸か不幸か橋田さんには子供がいませんし、今は夫もいません。物欲も名誉欲もなければ親戚もいません。

「何も残さずに死にたい」

 

世界中で人気の「おしん」

 

 

 橋田壽賀子さんのお墓問題 

27年前に亡くなった橋田さんの夫は、静岡県にある実家のお墓でお母さんと一緒に眠っています。「マザコンだったので喜んでいると思いますよ」と橋田さん。

 

「私は、父の実家愛媛県今治にあるお墓に入ることに決め、墓石もつくり替えました。かつて「夫と一緒に」と思って購入した共同墓もあるのですが、ここには二人の骨ではなく、主人と私の遺品の時計を入れてもらうつもりです。」

 

 

 確実に迫る老い 
「以前は毎日プールで800メートル泳ぐのを日課にしていました。しかし、そのプールはなくなったので、今は週3回、ジムで1時間のトレーニングを続けています。」

「バランスボールを使ったストレッチとか自分の弱いところを鍛える個人トレーニングです。おかげで車椅子のお世話になることもなく、何とか自分の足で歩くことができています。」

 

それでも、足腰が弱っているのは確か。元気そうに見えても確実に老いは迫ってきます。数カ月前には転んで顔面を強く打ち、手術を受けた橋田さん。

しかし、そのことをきちんと自覚できているのです。

 

 

 

 目いっぱい生きた人生に悔いなし! 

 

渡る世間は鬼ばかり

 

35歳でテレビの脚本を書き始めて56年。「仕事が楽しくて仕方なかった。人生目いっぱい生きた感じがします。」と話す橋田さん。

2015年12月から2016年3月まで、橋田さんはクルーズ船「飛鳥II」で海外に行きました。「なんといっても船旅では人物ウォッチングが楽しかった〜!」

 

「今のようなノルマに追われることのない暮らしは初めて。時間を好き放題使っていい。誰も文句を言いません。昼間から昔のテレビの再放送を見ては、亡くなった俳優さんを懐かしがっています。そんなテレビを見る生活に漬かっていたら、また仕事ができてしまった(笑)」

 

「渡る世間は鬼ばかりスペシャル」(笑)

 

「ゴタゴタもあって字を書くのも嫌だったんですが、好きな脚本書きだとできてしまうもんですね(笑)」

 

 

 

 終わりに 

 

いかがでしたでしょうか?

 

橋田壽賀子さんは、御歳90を過ぎ、身体の衰えはあるものの、とても自然体に余生を楽しんでいらっしゃいます。

モノを片付け、もはや欲望や憎しみのようなものは一切なく、自分らしい日々を過ごしているようです。

 

人間は、何かしら固執するものがあったり煩悩が渦巻いていると心安らかでは入られません。現役バリバリのビジネスマンであれば熱血漢も必要かもしれませんが、晩年は、いかに自然に生きていくかが大事なのではないでしょうか。

 

皆さんも、元気なうちに「終活」を開始し、身も心も軽くしておいた方が楽なのでは?

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