40歳で「突然死」を考えることのメリット☆
現代社会において、40歳ともなれば「突然死」を考えておかなければならない年齢でもあります。
- 体に溜まった “悪いもの” が限界を超えて溢れ出す時期
- そこから生み出される大病や突然死…
現在、日本人の平均寿命が78歳だということを考えれば、40代は立派に折り返し地点を過ぎています。いずれは迎える “ゴール” について、今のうちからしっかりと考えておくことは絶対に必要なことなのです。
例えば、20代や30代なら、おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなったとしても、そこで喪主を務めるのは自分の親の世代です。どこか他人ごとなんです。でも40代を過ぎてくると自分の親の死に直面したり、自分自身が病気になってしまったりと、急に死がリアルなものに感じられてくることでしょう。
まさに、40代は死について真剣に考え始める頃合いなのです。
不確かなことの多い世の中ですが、「死」は確かなものです。どんなに医療技術が発達したとしても、今のところ死は100%の確率で訪れます。お釈迦様も人間で、私たちと同様の苦しみを味わったのちに亡くなりました。
誰もが「死ぬまで元気でハッピー!」な人生を送ることができるのであれば、仏教をはじめとする各種宗教は全く必要なかったのです。にも関わらず、これほどまでに宗教が世界を席巻しているということは…そういうことです。
やっぱり人間は理不尽や不幸に直面してしまいますから、どうしても “寄り添うための何か” が必要になってきます。
ところであなたは、仏教を学べば「死ぬのが怖くなくなる」と考えていませんか?
どんなに悩み考えたところで、「死ぬこと」に対する結論は絶対に出ないものではないでしょうか。
なぜなら、生きている人は誰ひとり死んだことがないから。
実はあのお釈迦様だって、死後の世界について聞かれたときに、あまり明確には答えなかったと言われています。わからないんです。誰にも…死ぬことが何なのかについて…
なので、正直な話、仏教においても死後のことを考えることは永遠のテーマなんです。ただ、仏教には地獄絵図や極楽浄土の世界観があり、それを考えることによって子どもたちは悪いことをしないようになると考えられています。
裏を返せば、近年、若者による犯罪が増えてきているように思える背景には、40代の親世代とその子供たちの双方が、明確な死生観が持ち得ていない (何も考えていない) から、とも言えるでしょう。
つまり、死について考えを巡らせることは、今をよりよく生きることにも繋がるという教育が大事になってくるわけです。
この理屈、わかってもらえましたでしょうか。
仏教は、論理的に因果関係を考える宗教です。その中には、「人間の命は台風のようなもの」という教えもあり、やがては雨を降らせたり風を吹かせたり、周りに色んな影響を与えたりします。
そして、滅した後も川の水になったりと、姿はなくても何かしらの影響を与え続けています。これが「ご縁」という言葉に繋がっているのです。
人は生まれ、周囲に影響を残し、必然的に消滅していくのです。
このようなひとつの現象なのです。
そう考えると、
40歳のうちから、ボンヤリとしている「死」の恐怖におびえるのではなく、やがては確実に訪れる「死」という結果をよりよくし、周囲に良い影響を残すために何ができるのか…をきちんと考えておくべきなのです。
そのためにはどうしたらいいのでしょうか?
まずはじめに、「自分が生きていることを客観視すること」が大切です。
「自分が今生きていることは当たり前じゃないんだ」という視座に立って下さい。命はあって当たり前、仕事はできて当たり前。でもそれって、ちょっとしたことで崩れてしまう前提なんです。
そういった当たり前がご縁によって成り立っていることを知るために、お盆の時期には時間を作ってお墓参りに行ってみましょう。このようにきちんと先祖を敬うことで、自分のルーツを知り、自分の命の存在を客観視することができるのです。
仮にお墓がなくったって、両親や祖父母、親戚といった人たちに会ったり話したり、ただ考えてみるだけでも構いません。こうした、自分の力で正しい見解を導く努力が大切なんです!
「死」は、いつどのような形で訪れるものなのか誰も知りえません。交通事故で3分後に亡くなることだってあり得ます。
そこであらためて、40歳で「突然死」を考えることのメリットを考えてみましょう。
① 考えることそれ自体に意味がある
禅の考え方に “正見”というものがあります。これは、誰も見たことのない死後の世界について、『絶対にない』と断見するのはダメですが、かといって、『霊魂は常に残り存在し続けていくんだ』と考えるのも、常見といってダメなんです。正しい見解を、自らの考えで導くことが大事なんです。これを「正見」といいます。
ものごとの見方は数あれど、それに振り回されることなくキチンと自分で結論を導くことが大事なのです。考えても結論は出ない。でも、考えること自体に意味があるのです。
② 有意義な人生を自らの手で作り出す
40歳で「死」を考えてみたところで、けっして悟りを開けるわけではありません。「わからない」と焦る必要もありません。ただ、人間には年を重ねることで死に適応し、受け入れられるシステムが備わっているように思います。
諸行無常…
感覚や吸収力が鈍くなる…
心身ともに死を受け入れる準備が整っていく…
じっくりと考えた先には、どんな境地が待っているのでしょうか?
もちろん、悟りの境地に達するわけではありません。ただ、日々を何の計画性もなく生きていくよりも、ずっと有意義な人生を作り出していくことができる!これが「死」を考えることの最も大きなメリットなのではないでしょうか。
いろいろ考えると、また同じ地点に戻ってまた考えることになると思います。これは円相という、丸を筆書きする禅の文化に通ずるところがあると思います。
スタートとゴールは一緒なんです。それでも、それは点ではなく円なんです。見える景色だって、何も考えないで見るのと考えてから見るのとでは全然違うのです。
生き死には人生の一大事です。自分自身をあらためて見つめ直していくこと、死について思いを巡らせること。
死を考えることで、あらゆるモノの大切さに気づくことができるのではないでしょうか。