酒井法子の壮絶な生い立ち〜覚せい剤からの復活
テレビドラマ「ひとつ屋根の下」で酒井法子さんと共演したことのある福山雅治さんは最近、「好きなアイドルは酒井法子だ」と打ち明けました。
(このドラマはフジテレビ連続ドラマ史上最高視聴率を保持しており、現在もその記録は破られていません)
ご存知の通り、酒井法子さんは2009年に覚せい剤取締法違反で有罪判決を受けました (懲役1年6か月、執行猶予3年)。この時、彼女は裁判の中で「介護の勉強をしたい」と話していたのですが、
「なかなか難しくて…」と素直に告白し、現在は天職とも言える歌手活動を再開させています。
(ちなみに、この事件に関連して発生した損害賠償5億円は、元所属事務所のサンミュージックが肩代わりしたとも言われています)
そんな彼女は2016年秋、東京・江東区のディファ有明で行われたデビュー30周年記念コンサートに登場 (16年ぶりの単独コンサートです)。
このコンサートには、現在高校生の一人息子さんもかけつけてくれたようで…仲良い母子のようです。
さて、今回は、
賛否両論あるでしょうが、
自分らしくあるために再び芸能活動を再開させた酒井法子さんの「悲しい生い立ち」を中心に、これまでの出来事をまとめて書いてみたいと思います。
まずはこちらからどうぞ。
酒井さんは、現在の芸能活動について以下のように語っています。
「今まで皆さんが積み上げてくださったものをもう一度積み上げていくっていうのは大変なこと。でも、私より周りのスタッフの方がそのことに関しては相当苦労していると思います。本当にありがたいことです。」
「これが私の生きる道なんです。これしか、私にはできないんです。介護もやりますなんて言いましたけれど、なかなかそれも難しくて…。」
「芸能界という世界で私が生きていることを良く思わない方もいらっしゃるでしょう。でも、もうここが私の生きる道なんです。精進していきたいと思っています。」
不祥事直後は真剣に、「介護」関連の仕事で働くことを考えていたわけですが、「大好きな歌を歌い続けていきたい」、そして、女手一つで子供を育てていくために、それなりのお金が必要だった、というのが本当のところなのではないでしょうか。
1998年に結婚した旦那とは事件後、2010年に離婚し、酒井さん自身は2012年から芸能界に復帰しています。
ところで、元夫の高相祐一とはいったいどんな人物なのでしょうか?
高相祐一の実家は都内でスキーショップを営んでおり、彼はそこそこのおぼっちゃまです。その流れで彼自身、ウィンタースポーツのお店を経営していました。
自称サーファーとしても活動し、DJやデザイナーという一面も持っていたようです。
酒井さんとの馴れ初めは「テレビ番組での共演」とも、「工藤静香の紹介」とも言われていますが、いずれにしろ、できちゃった婚で1998年に電撃結婚。
この高相祐一が勧めたことで酒井さんもドラッグに手を出すことになるわけなのですが…
「覚せい剤は結婚5年目くらいかな、僕がアルミホイルで炙っているところを見つかって。 『何やってるの?』と聞かれたから、『元気になるんだけどやってみる?』と言ったら彼女も『うん』って。覚せい剤は僕には合わなかったけれど、彼女には合っていたみたい」
ふざけた発言です!
二人は1998年12月に結婚していますので、酒井法子さんは2003年あたりから使用していたと考えられます。それから2009年まで…
そう考えると、彼女の薬物歴はけっして短くはなかったようです。
(元旦那は、子供時代からすでに薬に手を出していたとも語っています)
2009年8月の逮捕後、二人は調停の末、2010年6月に離婚。離婚にあたり、1999年に生まれた息子の親権は酒井法子さんが持ちました。
ただ離婚について高相は、「理由がわからない」とも発言しています。
理由がわからない?まだ正気を取り戻していないのでしょうか?
酒井法子さん(当時38)と高相祐一(当時41)は2009年春頃に夫婦間トラブルがあり、高相は千葉県内の別荘に、酒井さんと10歳の長男は都内のマンションに住むという別居状態が続いていたとされています。
その前から、高相は酒井さんと親しい女性と愛人関係になっており、一時期は4人で同居していた…という話もあるほど。どうやら、夫婦関係はかなり前に破綻していたようです。
離婚後も、何度かドラッグに手を出してしまっている高相祐一。そんな彼は息子のため、更生しようと病院などの施設に何度も頼っています。
「パパはパパなんだから、嫌いになるわけない」と言ってくれた息子のために、
更生できるのか、それとも一生ドラッグ漬けの生活を送っていくことになるのか…
ちなみに、余談ですが…
2009年に世間を騒がせた高相祐一は、同じ理由で2014 年に世間を騒がせた歌手のASKAさんと、薬物治療の病院で遭遇しています。
高相いわく、
「治療のプログラムは3か月間です。入院中のある日のこと、窓に黒いフィルムが貼られたんです。みんな“アレ、何かあるの?”みたいな感じで……。それがASKAさんが来たときだったんです。僕はそのとき、ちょっと“逸脱行為”ってのをして1週間、独房に入れられていたんで、当日は見てないんだけど(笑)」
ちなみに彼が行った“行為”というのは……。
「タバコですね。ポケットの奥に入っていた吸い殻と紅茶の葉っぱを紙で巻いて。ライターがないからコンセントに針金を差してバチバチバチッて。それがバレてしまった」
そんな環境に現れたASKAさんは、
「落ち着いていて、すごく雰囲気のある人だった。いつも香水をつけていて、“ASKAさんのニオイ”っていうのがありました。ASKAさんも部屋や食事など、みんなとすべて一緒でしたよ」
病院では治療のための薬が与えられますが、それを受け取るために、ASKAさんもほかの患者と一緒に列に並んでいたようです。
「ASKAさんは、本当に人柄のいい人でした。トランプをやろうって誘えば絶対にやってくれるし。一緒に『大貧民』やりましたよ」
「ASKAさんとはいろいろな話をしました。あの人、けっこうスピリチュアルな話が好きみたいで」
この2人と一緒に治療を受けた作家の石丸元章氏も、
「ASKAさんは環境問題に対して意識が高く、原発について“自分も真剣に考えている”と、自説を語ってらっしゃいました。食べ物なんかも気をつけなきゃいけない。原発の影響が出ているかもしれないカレイなどの魚は危ないと言って食べ残していましたよ。病院食なんで、普通はマズいから残すんだけど(笑)」
さて、話を酒井法子さんに戻しましょう。
正統派女優・歌手として活動していた酒井さんは純粋なイメージで人気を博していましたが、すっかり薬物のイメージがついてしまいました。
ダーティなイメージを持ったまま、完全復活を果たすのは並大抵のことではありません。
そうは言っても、大事な子供を育てていかなければなりません。お金を稼ぐため、当初は地方のパチンコ営業をし、プライドを捨てて活動していくしかなかったのです。
そしてディナーショーへも。。。
現在は大きくなった息子さん。過去の過ちは過去として、母親をリスペクトし、サポートしてあげているようです。頼りになる息子さんですね。
そんな息子さんがいるからこそ、酒井さんが再びドラッグに手を出す…なんてことは到底考えられないのですが、
もし万が一、これから先何らかの理由でスランプに陥り、大きなストレスを抱え込んでしまうようなことがあれば、ルートはいくらでもあります。
「彼女は絶対にもうドラッグをしない」とは言い切れないでしょう。
我々はそうならないことを祈るばかりです。
最後に、
否定的な意見を持っている方にも知っておいていただきたい、彼女の生い立ちを綴っておきます。少しは、考えさせられることもあるのではないでしょうか。
悲しい生い立ちは乳児の時から始まります。
1971年、福岡県福岡市で生まれた酒井さんは、乳児の頃、父親が覚せい剤で服役していた時に、母親は寂しさから知り合った若い男と駆け落ち。父親の実家がある佐賀県のお寺に捨てられました。
つまり、父親はヤクザ、母親は生まれたての彼女を捨てて駆け落ちしてしまったのです。
その後、両親は離婚し、母親側に引き取られるも母は自殺に見せかけて殺されます。
その後、父の再婚に伴い福岡に戻った酒井さん。
温かい家庭を全く知らない酒井さんは14歳頃からオーディションを受け始めます。かわいい酒井さんは当然オーデイションに合格。
サンミュージック社長の自宅で下宿生活を始め、学校も東京都内の中学校に転校。そして、芸能界デビューを果たすのです。
芸能の世界には、トラウマにもなり得る不幸な人生を歩んできた方がたくさんいらっしゃいますが、酒井法子さんもその一人だったのです。
自らを「のりピー」と名乗り、「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった「のりピー語」を流行させた酒井さん。
1990年代に入ると日本全体がアイドル冬の時代を迎え、活躍の場をアジアへと広げていったのです。
そして、アジアでも大人気となっていた酒井さんの身に、2009年の逮捕劇が襲いかかったわけです。
彼女は幸せになれないのでしょうか?
そもそも幸せって何でしょう?
2016年9月22日、ディファ有明で酒井法子さんの30周年記念コンサートが開催されました。やはり40代ぐらいの男性が多いのですが、女性や若いファンもいるようです。中国語らしき会話も聞こえてきます。
ホール内に入り開演を待ちっている間、会場内では彼女の登場が待ちきれないかのように「のりピー!」「酒井さーん!」といった声援が上がっています。
そしていよいよ!
コンサートスタート!
流れてきたイントロは、デビュー曲「男のコになりたい」。
いきなりのキラーチューンに総立ちとなる会場。衣装は、シルバーのラメの入ったミニのワンピース。30年前の曲だというのに全く色あせていない。
全力で1曲目を歌いきって、続いては「渚のファンタシィ」。そして期待の3曲目は「ノ・レ・な・いTeen-age」。
ん?
セットリストがそのままシングルを出した順になっている。デビュー当時からのファンに向けた感謝のメッセージなのでしょう。
最初のMCでは挨拶に続いて、今日はファン投票で決定した人気曲ベスト30を全曲披露すると宣言。会場からも歓声が上がった。
この瞬間、「おぉ、あの曲やあの曲も聴けるのか!」とテンションのあがる熱狂的なファンたち…
そして、とにかく彼女の明るいトークを聞いていると、こちらまで気持ちが明るくなってくる。本当のアイドルというのは、こういう人のことをいうのだろう。
彼女の「ここからは座って見てください」という言葉に従い、客が着席する。
MCで、今日のコンサートに向けて、ボーカルトレーニングをしてきたこと、肌の手入れなども大事にしてきたこと。スキンケア製品「ORIGAMI」のCMをやらせてもらったことなどを挙げ、改めてスタッフとファンに感謝の気持ちを述べる。
ここからはじっくりと聞かせる曲が続く。
「PURE」「あなたに天使が見える時」「Here I am ~泣きたい時は泣けばいい~」「涙色」「横顔」。
・・・
一度ステージをはけた後、しばらくして登場した彼女は可愛らしいピンクの衣装にチェンジ。「ALL RIGHT」で開場は再びヒートアップ。客席もまた総立ちだ。
「ダイヤモンド☆ブルー」「微笑みを見つけた」「ホワイト・ガール」。
そして、春の高校野球で入場行進曲にもなった「夢冒険」やオリコンで自己最高の2位を獲得した「1億のスマイル 〜PLEASE YOUR SMILE〜」。曲を聞くたびに、その頃の思い出が頭をよぎる。
「Love Letter」「鏡のドレス」に続いては「涙ひとつぶ」「Truth~飛べない鳥よ~」と最近の曲を披露したところで、情報が入る。
なんと、今日のコンサートが中継されている中国のサイトで、視聴者数が100万人を超えたとのこと。改めて、中国での彼女の人気のすごさを思い知らされる。
そして最後のMC。。。
その言葉の後で聞く「碧いうさぎ」は心に沁みた。
これで本編は終了。当然アンコール、会場では「のりピーコール」が起きる。
そして登場した酒井は、「30曲歌いきったー!」と叫び、ラストの曲は「明日へつづくラストシーン」。
コンサートが終わり、ステージ上のスクリーンには、彼女の自筆で「本当に、本当ーに みんな ありがとう」の文字と、彼女のオリジナルキャラクターであるのりピーちゃんの絵が映し出された。
ああ、終わってしまった。
30年、30年である。
短い年月ではない、当然彼女にも、私にもいろいろな出来事があった。でも、彼女はアイドルでい続けたし、私はファンであり続けた。
帰り道、早々にネットニュースになったコンサートの記事と、それに対する反応を見ていると、必ずしも好意的なものばかりではなかった。
確かに、嫌悪感を抱く人たちがいてもおかしくはない事情があったことはわかります。
しかし、執行猶予期間を無事に乗り越え、世間からの非難の声、猛バッシングに耐え、真摯に受けとめてきた彼女を、いつまでも永遠に非難し続けていいものでしょうか。
彼女にだって大切な家族がいます。自分の人生もあります。
彼女の存在に救われたり、生きる希望をもらったりしている多くのファンだっているのです。
そろそろ、
温かく見守ってあげてもらえないでしょうか。。。
・愛称:のりピー
・出身地:福岡県福岡市
・生年月日:1971年2月14日
・身長:157cm
・デビュー:1986年
・現在の所属事務所:オフィスニグンニイバ(2012〜)
(元サンミュージックスタッフが代表を務める事務所)
・元所属事務所:サンミュージック(1986年〜2009年)