「失認」と「認知症」の違いを知り、今後の介護法を考える

 

医学的には、 「通常の理解力や判断力が備わっているにも関わらず、自分が◯◯であることがわからない」ことを「失認」と言います。

ただし、通常の理解力や判断力がなければ失認とは言えません。例えば、「アントン失認(目が見えないのに見えると主張する)」、「痛覚失認(痛さがわからない)」、「ゲルストマン症候群(字が書けない、計算できない、どの指かがわからない、左右がわからない)」が失認の事例としてよく取り上げられます。

 

さて、

この流れで

次に「認知症」についてです。

 

認知症になると「自らが認知症であることがわからない」といった特別な失認があるのかどうかという問題です。

よく、家族の体験談として「認知症になると (本人は) 認知症であることがわかっていない」と言われていますが、私は、それは「ない」と思っています。誰よりも先に本人が、認知症であることに気づいているはずなのです。

 

 

ところで、

一般的な「認知症」のイメージってどんなものでしょう?

 
 
 
 

認知症のイメージ

実のところ、世間一般からの「認知症のイメージ」は、実際の姿よりも悪く捉えられていると思います。確かに、現時点においては「認知症を完全に治すことはできない」ですし、「完全に予防する手立てもない」。

このことは明白です。

 

少子高齢化と相まって、メディアや様々な紙面にはことあるごとに「認知症予防」の文字が躍っています。その効果のほどはどうなのでしょう。

ともあれ、多くの人にとって認知症は「なりたくない病気」です。ある意味、認知症はガン以上に「本人に知らせることを忌み嫌われる」病気なのです。

 

しかしながら、誰だって、近い将来、認知症になることでしょう。若年性認知症だって増えてきています。あなただってもしかしたら既に認知症かもしれないのです。そういう時代に我々は生きているのです。

そういう意味では、世の中が一刻も早く等身大の「認知症」というものをしっかりと受け止める必要があります。

 

認知症は、「怖い」「悪」「絶望」に形容されるような病ではなく、施膳の摂理の一部分だと考えてみてほしいと思います。

ここで一つ、心理テストのようなものを行なってみましょう。

 
 
 
 

「認知症」に関する思考実験

以下はちょっとした思考実験です。

1.  本人は「自分が認知症だとわかっている」のに、表面的にはそう見えないので、周りの人々は「本人は認知症であることをわかっていない」と思っている。

2.  逆に、本人は「自分が認知症だとは思っていない」のに、周りの人々は「本当は、本人は認知症であると思っているんだ」と思っている。

 
 


 
 

以上2つの勘違いのうち、どちらが (本人にとって) 人としての痛みが小さいでしょうか?

(こうした本人と家族の認識のズレはけっして珍しくはありません)

 

 

まず、この1は最悪のシナリオです。肝心の本人が蚊帳の外だからです。本人は何も間違ってはいない。自分が認知症であることをきちんと認識できている。それに対して家族が誤解しているんです。

ただ、現実問題として、こういったケースは少なくありません。本人に、変に気を使っている家族と医師たちがそこにいます。結果として、薬で「扱いやすい人に変えてしまう」ことが目的の医療になってしまうことだってあるのです。

 

2のケースでは、本人は自分が認知症だとは1ミリたりとも思っていない。でも実際には認知症で、家族は「本当は本人も気がついているんじゃないか」と思っている。ここにも思考のズレが生じていますが、この場合は本人の「被害妄想」(認知症の周辺症状の一つ) が顕著に現れるかもしれません。

対処を間違えると、本人も家族も、双方が悩まされることになりかねません。

 

いずれにしても、医療の受益者は介護者です。つまり、認知症医療の分野においては本人よりも介護者の方が優先されるのです。

(仕方のない一面もあるのですが) しかし、それは決して良い医療とは言えません。

 

おわかりですよね?

とすれば、同じ判断ミスであっても、1よりも2の過ちの方が、人としての痛みは小さいと考えられます。

 
 
 
 

終わりに

今、「一人で受診する認知症患者たち」が増えてきています。家族に付き添われることなく、自らの自覚のもとに受診してくる認知症の人々。

そういう時代だからこそ、本人にとってショックの大きい1のような判断ミスは起こしてほしくはないのです。

 

本人も家族も一致団結して、認知症が気になったら遠慮せず、医療機関を受診してください。そして、認知症についての正直な思いを医師にぶつけてみましょう。きっと、真剣に向き合って話を聞いてくれると思います。

これからの時代。認知症とともに豊かに暮らす人々が当たり前でなくてはなりません。そのために、あなたの力が必要です。

 

認知症は「悪」ではなく「自然」なものと考え、本人を責めることなく家族の強い絆を培っていってもらいたい。心からそう願っています。

 
 
 

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