絶対に許してもらえる「効果的な謝罪」方法!ポイント5つ
まずはじめに、「日本人は世界一謝る国民」だということを知っておきましょう。「職員が悪事を働きました」「不倫しました」「政治資金を流用しました」「子供が悪いことをしました」。。。
テレビをつければほぼ毎日、誰かがどこかで謝罪しています。そんな「謝罪」には、「許される謝罪」と「許されない謝罪」があるんです。
ここで問題になるのは謝罪理由の「悪質性」ですが、どうも、許されるかどうかのポイントはそれだけではないようです。実は、「受け入れられる謝罪」には「絶対的なルール」が存在するのです。
そこで今回は、企業不祥事の対応から家族・友人との身近なトラブルまでを丸く収める「世にも美しい “謝罪の作法” 」を紹介しておきましょう。
「効果的な謝罪」の5つの要素を知っておこう!
日本人は本当によく頭を下げます。ある実験では、日本人はアメリカ人の2倍以上「謝罪する」らしく、文化の違いを侮るなかれ、です。
そもそも欧米には謝罪会見の慣習はほとんどないですし、自分に責任のない部下や親族の過失で謝ることはまずありません。
「謝罪」は、アメリカでは責任の所在を明らかにするためのもの。一方日本では、反省を表すためのもの。つまり、日本では、自らが関わっていない行為に対しても「彼も十分に反省していますのでどうか許してください」と反省を示し謝るわけです。
「謝罪」は、(日本という閉鎖的社会の中の) 潤滑油なのです。
それはともかく、
どうせ謝るのであれば、その謝罪行為が無駄にはならずしっかりと許してもらえたら嬉しいですよね。そんな夢のような「完璧な謝罪法」ってあるのでしょうか?
実はあるんです。
「許される謝罪」というものが・・・
☆「謝罪」5つの要素 ☆
① 後悔・反省の念をしっかりと表す
「本当に申し訳ありません」「こんなことをするべきではありませんでした」
② 原因をきちんと説明する
「自分の不手際でした」「慢心していました」
③責任を認める
「私の責任です」
④ 改善策を提示する
「これまでの行いを正し、二重チェックを行うようにします」「これからは、毎日確認の電話を入れるようにします」
⑤ 最後に、もう一度誠意をもって許しを請う
「どうか許してください」
潔く自らの責を認めることこそが大事!
上記5つの中で、特に一番大事なのは ③の「責任を認める」です。逆に、⑤の許しを請う行為はなくてもよいでしょう。なぜなら、「許しを請う」は時期尚早、ずうずうしいとみなされることもあるからです。
例えば、多くの批判を浴びたベッキー、舛添元都知事、豊田真由子議員、稲田元防衛相、斉藤由貴などの最初の会見では、「責任を認める」部分がすっぽりと抜け落ちていました。
結局のところ、「謝罪」においては具体的に何を言ったかよりも、明確に「非を認める」誠意こそが一番大事なのです。こういった視点で舛添さんの会見を振り返ってみると、実に「間違いだらけ」でした。矛盾が多かった。。。
確かに、言葉では「誠に申し訳ない」「心からお詫び申し上げます」「深く反省する」「恥ずかしい」などと言ってはいたのですが、それは単に読み上げているような印象で「心」がありませんでした。その反省の「思い」が全く伝わってこないのです。
舛添さんが許してもらえなかった理由
舛添さんの会見は、見ている人に「感情のこもっていないロボット」のような印象を与えてしまいました。そんな、聞く人を不愉快にさせたポイントは以下の3つです。
① 口元
まず基本的なことですが、謝罪会見中の笑顔は見る人を不快にします。舛添さんの場合、時折、笑顔を見せる場面がありました。いや、厳密には口元の作りがゆるんで見えてしまう人だったのかもしれませんが、結果的に舛添さんは「不謹慎にも笑った」と受け取られたのです。
② 視線
「反省」と言えば頭を下げ伏し目がちになるものですが、残念ながら舛添さんの目は見開いた感じで、人を凝視するように見えました。その視線には、「申し訳なさ」がみじんも感じられなかったのです。これももともとの顔の造作といえばそれまでなのですが、意図的に目線を落とし、ちょっとでもうなだれた感じが出ていればまた印象も変わったことでしょう。
③ 話し方
舛添さんは能弁です。人を論破することに慣れた人らしく、早口で畳みかけます。このよどみのなさが謝罪会見ではあだとなりました。悲壮な表情を浮かべ絞り出すように話す場面、感情の高まりでぐっと言葉を詰まらせる場面、とつとつと語る場面などはなく、「ペラペラ」と台本を読むような話し方でした。
おわりに ☆
以上のことを踏まえて、円楽師匠 (落語家) や高島礼子さん(女優) の会見などを見ればその差は歴然です。彼らの会見には、言葉と動作にズレが全くありませんでした。このように、謝罪会見は冒頭の30秒を見るだけでその成否がわかるものです。
そんなわけで、
不運にも「謝罪する側」に回ってしまった人は、「何を言うか」…だけでなく、「言い方」「見せ方」にも十分に気を配ってくださいね。
といっても、無理やり「反省している自分」を演じるのではありません。本当に「申し訳ない」…と言う気持ちを込めて謝るのです。「真摯に、そして誠実であれ」ということに尽きるのです。
最澄は「愚直に歩めば道は開ける」、空海は「その気になれば自分は変えられる」と申しております。
何か取り返しのつかない過ちを犯した場合であっても、「真摯に」「誠実に」「愚直に」「本気で変わるべく」謝罪すればいつか必ず許してもらえると信じて…
心からの謝罪を行いましょう。
皆が幸せな人生を歩んでいくために・・・