宮沢りえとカレン・カーペンター、「激痩せ」の明暗を分けたもの
現代の日本人女性は世界的にも珍しいほどに「スリムな身体」に憧れています。その結果、ストイックなほど「ダイエット」に励んでいるのです。
「もっと瘦せたい…」
「もっともっと美しくなりたい!」
この「瘦せることが全て!」という考え方をする女性は、日本はもちろん世界でも実は多く存在しています。
なぜ女性はそこまでして「細さ」にこだわるのでしょうか?
「激瘦せ」という言葉も一般化していますが、いったいいつから「激瘦せ」が身近な言葉になったのでしょうか?
そのきっかけを作ったのは、おそらく女優の宮沢りえさんだったのではないでしょうか。
そこで今回は、今や大女優として活躍する宮沢りえさんの「激やせからの復活」について書いてみたいと思います。
1995年、当時「健康的な美少女」として大人気だった宮沢りえさんがあまりにもショッキングなほどに「激瘦せ」してしまい、世間はパニック状態に陥りました。
メディアは「摂食障害ではないのか?」と書き立て、世間もそれに同調し「大丈夫?」「心配だ」の声が…
誰の目にも10キロは痩せてしまったように映った当時の宮沢りえさん。「40キロはないだろう」と囁かれていました。ちなみに彼女の身長は168センチなので、なかなかの細さです。
週刊誌の見出しには連日「〝激やせ〟」というフレーズが!
当時の彼女は「ダイエッターズ・ハイ」のような状態だったのかもしれません。
そして半年後。。。
彼女はさらに瘦せた姿でメディアに登場したのです。
何より衝撃的だったのは、羽織っていたものを脱いだ際、半袖のシャツからむきだしになった腕の細さでした。肉が削げ落ち、肘の骨が飛び出し…
言葉は悪いですが、それはミイラのようでもありました。
それ以降、彼女は好奇の目で見られるようになり、メディアによる原因探しが活発化していきました。
「摂食障害」(Eating Disorder) は精神疾患の一種です。
原因はいまだ明らかにはなっていないのですが、ダイエット・ストレス・人間関係・栄養バランスなど、様々な問題が関係していると考えられています。
「摂食障害」には「過食症」と「拒食症」があるのですが、どちらか一方だけが出てしまうケースと、両方が入れ替わりに繰り返されてしまうケースがあり、宮沢さんの場合は「拒食症」の発症で「激やせ」してしまったものと考えられます。
ちょうどこの頃からでしょうか。世間は「摂食障害」というものの存在を知り、「摂食障害」への理解を示すようになっていったと思うのです。これまで世間に渦巻いていた「摂食障害」への偏見と誤解は、少しずつ解き始めていったのです。
そういった意味では、彼女がこの時残してくれた功績は非常に大きいものだったと言えるのではないでしょうか。
当時よく言われていたのは、「母親との関係に原因がある」とする説。「太っている母親のようになりたくないから、反動で瘦せすぎてしまったのではないか」というものでした。
というのも、「摂食障害」には支配的な母親と従順な娘という構図が典型例として存在し、彼女の場合もこれに当てはまっていました。
ただ、当然のことながら、太った支配的な母親を持つ女性がみな「激瘦せ」をきたすわけではありません。そこには、複雑な家庭環境、少女としての無理な自己実現、大人世界への移行の失敗、体型をめぐる強迫観念の強さといった、様々な要素が作用していたと考えられます。
彼女は物心つく前に父親と生き別れています。母親とも一時は別居状態にありました。母親が戻ってきたのは、彼女が子供モデルを始めたことを知ってから、とも言われています。
「素直」「元気」「天真爛漫」などと評された彼女の性格は、おそらくそういう生い立ちから逆説的に育まれたもので、それは芸能界でも称賛されたことにより、強化されたはずです。
と同時に、「顔立ち」や「体型」が重視される世界に飛び込んだことで、自らの外見についてのこだわりも強化されたのでしょう。
つまり、彼女は「完璧な美少女」を頑張って演じることによって「国民的アイドル」になり得たわけです。
しかし、転機は突然訪れます。母親主導で行なわれた「ふんどしカレンダー」や「ヌード写真集」などのセクシー路線…
本人にとっては相当なストレスとなったことでしょう。
そこで彼女は、のちの横綱貴乃花(当時は大関)との「結婚」という方法で、大人の世界へと一気に飛び立とうとしました。が、先方からの一方的な婚約破棄により、デビュー以来初といっていい挫折を味わってしまうのです。
それでも会見で、「悲劇のヒロインにはなりたくない」と発言するなど「素直」に「元気」に「天真爛漫」に振る舞うことで危機を乗り切ろうとします。
こんな時、本当は恨み言を言ったり、八つ当たりでもした方がよかったのではないでしょうか。
しかし、少女としての優等生的な自己実現しか知らなかった彼女は、そうやって、平気なふりをするよりほか、術(すべ)がなかったのかもしれません。
その無理がしわ寄せを生み、「激瘦せ」という心身症的かつ自己破壊的表現をとらせるにいたったのでしょう。
「激瘦せ」してしまうと、通常であれば多少なりともリバウンドを伴うものなのですが、彼女の場合、大きなリバウンドをしていません。
途中でひどい過食に転じ、以前よりも太ってしまう人が多い中、彼女の場合、騒がれない程度の「ギリギリの細さ」となってその体型を維持し続けてきたのです。
まさに奇跡!
しかも、結婚(のち離婚)や出産も経験。こうしたことが、彼女を特別な存在にしているのです。
「宮沢りえくらいの細さでいられたらいいのになー」
こんなことを口にする人が目立つのです。
当時
「骸骨みたい、って言われるのは嫌です!」
と答えていた彼女。
この「骸骨」「ガリガリ」「ミイラみたい」「気持ち悪い」などの声も聞こえていた中、彼女は「瘦せ」へのこだわりを維持し続け、
世間で許されるギリギリの細さを保ち続けてきました。その結果、メディアに「美しいもの」と見なされ、女優としての仕事にもプラスに働いていったのです。
「彼女の細さはむしろ健康的なものだ」とさえ評価されているのです。世間の価値観を一変させた孤高の存在であり続ける宮沢りえ。
本当にすごい人ですね!
余談ですが、世界的に「激ヤセ」をクローズアップさせた有名人と言えば、世界の歌姫、カレン・カーペンターです。
彼女は1983年、拒食症による心不全で32年の生涯を終えましたが、宮沢りえは40代を元気に迎えています。瘦せたままで自己実現していきたい人にとっては、ひとつの希望といえるでしょう。