美輪明宏さんからのメッセージ 「幸せは自分で掴むもの」
~幸せはつかみに行くもの、まずは行動から~
歌手、俳優、演出家、タレントなど多彩に活躍する美輪明宏さんといえば、「霊能力」でも有名ですよね。
そんな美輪さんは、もともと霊感とかは信じていなかったそうです。でも、人が何を考えているのか、お手伝いさんが何を買ってきたのか、など見えたり聞こえたりしたそうです。
その後「第3の目」というものが開き、「前世は天草四郎」と告げられたことをきっかけに、自分の力を認めるようになっていった美輪さんは、
・広い世代から支持されるスピリチュアルパワー
・年齢を感じさせない美しさ
でいつまでも生涯現役です!
かつて美輪さんは、日本で少しでも有名な占い師や霊能者の所へ片っ端から道場破りに行ったことがあるのだそう。
その結果、
99%は偽物だったとか…
そんな本物の霊感を持つ美輪さんのことを瀬戸内寂聴さんは「私にとって観音様のような存在です」とおっしゃっています。
霊能的な相談だけでなく、人生の相談も受けることの多い美輪さん。ここからは、そんな美輪さんにあなたが人生相談をしているつもりで読んでみてください
「自分は何をやってもダメなんじゃないか…」と自己否定する人のなんと多いことか!
ある時美輪さんは、そんな人から「幸せになりたいのですが、どうしたらなれますか?」という相談を受けました。
以下、この問いに対する美輪さんの言葉です。
1935年5月15日、長崎県長崎市で生まれ育った美輪明宏 (本名:丸山明宏) さん。
実家は日本三大遊郭の一つ、長崎市内の「丸山遊廓」にある「世界」という名前のカフェ。しかし、「敵国の文化を商売にすることはならん」と言われ、閉店後金融業に転業。
1945年8月9日、美輪少年が縁側の机で宿題の絵を描いていた時、凄まじい光に包まれたと思った瞬間、大音響、地響き…
奇跡的に一命を取り留めた美輪さんでしたが、このアメリカ軍による長崎への原爆投下により、人口24万人のうち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊してしまったのです。
外には、髪がずるりと抜けた人、皮膚が洋服のように焼けただれた人、焦げ切ってしまっている人…
美輪さんはこの時、随分多くの人に末期の水を飲ませてあげたそうです。
そして、美輪さん自身も髪が抜け落ち吐血。
「死んでたまるかー!」
1951年、15歳の時に上京し、歌手を目指すもまもなく実家が破産。(音楽) 学校を中退し、ホームレスのような生活を強いられることとなります。
そんな苦労を必死に乗り越え、シャンソン歌手となった美輪さんは今に至るのです。
三島由紀夫に「君には一つ欠点がある。それは俺に惚れないことだ」と言われたほどの美貌を持ち合わせていた美輪さんは、自身が同性愛者であることを公表しました。
しかし、世間の風当たりは強く、化け物扱いされ、見も知らぬ人から石を投げつけられることも…
それでも美輪さんはこう話しています。
「男も人間なら女も人間。人間が人間を愛することには何ら変わりがない!」
そんな美輪さんは、家族や世間に受け入れられず死んでいった同好の友人たちを想い、現在はLGBT (レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー) の権利拡大に力を入れているのです。