破滅的人生を送ったエイミー・ワインハウスの慈善団体、薬物アルコール中毒女性を支援
エイミー・ワインハウスのチャリティ団体が、薬物やアルコール依存症の女性たちを支援するホーム「エイミーズ・プレイス」を開設しました。2011年7月、27歳という若さでアルコールの過剰摂取により急逝したエイミー。
そんなエイミーの壮絶な人生を振り返ってみましょう。
1983年9月14日、ロンドンでユダヤ人の両親 (ジャズ歌手の父と薬剤師の母) のもとに生まれたエイミーはおばあちゃん子でした (おばあちゃんは元ジャスシンガー)。
そんな大好きなおばあちゃんとジャズについて語る時間はエイミーにとってとても幸せな時間だったのです。
なぜなら、エイミー9歳の時に両親が離婚したため、幼少期の良い思い出といえば「おばあちゃん」と「ジャズ」しかなかったのです。
音楽の才能溢れるエイミーは、17歳の頃には複数のレーベルがコンタクトを取るほどの逸材となっていました。
そして2003年、アルバム『Frank』でデビュー。英国内で67万枚を超えるヒットとなり、一躍トップスターの仲間入りを果たしたのです。
(一説には、初めて付き合った年上の男性にフラれたトラウマから生まれた作品と言われています)
そして2006年に発表した2ndアルバム『Back To Black』は世界的大ヒットに!グラミー賞では最優秀新人賞や最優秀楽曲賞をはじめとする5部門を受賞!
2007年、4歳年上のミュージック・ビデオ撮影アシスタントの男性と結婚。しかし、この結婚が彼女の人生を大きく狂わせてしまうこととなったのです。
エイミーは夫の影響でアルコールとドラッグに溺れてしまいます。結局、夫婦揃ってリハビリ施設に入所するハメに。
その後の彼女の人生は、「逮捕」「破局」「復縁」を繰り返す泥沼へと突き進んでいったのです。生活は荒み、リハビリ施設への入退院を繰り返す中、キャリアは停滞…
その後結婚を考える相手が現れ、その愛情に応えるように一度はアルコール & ドラッグの依存から脱し、音楽活動を本格的に復帰。
しかし、2011年7月、ロンドンの自宅アパートで遺体となって発見されてしまうのです (死因は、致死量を超えたアルコールの摂取による急逝中毒死)。
あれだけの才能と歌声を持ち合わせていながらも、彼女は器用に世の中を渡っていくことができませんでした。残念でなりません。
エイミーの義母でチャリティ団体に携わるジェーン・ワインハウスさんは、
「このプロジェクトは、本当にたくさんの若い女性に重要な変化を与えるでしょう。生活をやり直し、回復の旅に向けて必要な知識を実現する安全な環境をもてるのですから。」
再出発をするのは難しいことです。たくさんのチャレンジが待っていますが、エイミーズ・プレイスは、若い女性たちにそれを実現できるツールと支援を提供するのです。」と熱く語ってくれました。
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死の前夜、
エイミーは普段はやることのないことをやっていたそうです。それは、自分のYou Tube映像を閲覧すること。
死を前に、彼女は何を感じ何を考えこのような行動をとったのでしょうか?
彼女を妹のように思っていたボディガードのアンドリューは、彼女の死の知らせを聞いて激しく悲しみに震え泣き崩れたそうです。
〜 エイミー 安らかに 〜