認知症は神様からのプレゼントだと心から思えますか?
老いと真正面から向き合うことは人間にとって相当のストレスです。
そう考えると、認知症は「老い」のストレスから解放され、最期を迎えることができる、“神様がくれた病気 ”と解釈することもできるのです。
しかし、家族にとってはそう簡単に割り切れるものではありません。
認知症は“神様がくれた病気 ” という解釈には、「よく分かる」面と、「実際に介護をする家族にとって、そんなきれいごとではない」という気持ちが混在し、複雑な思いがあります。
一緒に考えてみましょう。
まずはじめに考えておかなければならないことは、認知症は“死に至る病気” だということです。
「認知症って、直接の死因になるような病気じゃないでしょ?」と考えている方もいるかもしれませんが、実はそうではありません。
ご存知のように、アルツハイマー型認知症は脳の神経細胞の脱落や脱髄などから脳が委縮する進行性の病気です。
始まりは単なる物忘れでも、次第に高次機能障害をきたすようになり、さらに進むと妄想や人格変化などの周辺症状を呈し、やがては歩行不能となります。
そして、
最後は食べない・しゃべらない・動かないの『失外套(しつがいとう)症候群 』という大脳皮質の機能が完全に失われた状態となって死に至る、とても残酷な病気なのです。
発症してからの余命は医師によって諸説ありますが、数年から15年程度と言われています。
知人の父親は認知症の進行スピードがとても速く、発症年齢が高かったこともあり、診断が確定した半年後には失外套症候群の状態に陥りこの世を去りました。
ここで大事になってくることは、
認知症の患者さんを介護する家族にとっての正念場は、周辺症状が現れるようになってから、ということ
現実問題として、献身的に介護する家族やパートナーに対して、嫉妬・妄想・暴力行為にまで発展することも稀ではないのです。
こうなってしまうと、徘徊や異食はおろか、日常生活全般を自分自身では行えなくなってしまいますので、施設に入らない限り介護する家族に平穏な時間はありません。
よく聞く話なのですが、妄想や徘徊、時には暴力などを繰り返す家族を介護する中で、「認知症は神様がくれた病気なのかもしれない」と思えることが一度だけあるといいます。
生前、元タレントの山口美江さんも話していたことなのですが、認知症だったお父さんが亡くなる直前、しゃべれないはずの状態で、振り絞るような声を出して「ありがとう」と言ったそうなのです。
地獄のような長い介護生活の中で、最後の最後に言ってくれたたった一言の「ありがとう」という言葉。これにより、今までの苦労が一気に癒され、幸せを感じることができたといいます。
話すこともできないような状態の認知症の患者が最期の言葉で「ありがとう」と言えるのは、きっと自分の死期を悟り、一瞬、我を取り戻す瞬間が訪れるからなのかもしれません。
そして、介護する家族にとって、「認知症は神様がくれた病気なんだなぁ」と素直に感じることができる唯一の瞬間でもあるのです。