ナポレオンの「栄光と挫折」人生 ⑥ 晩年の転落っぷりときたら…

1812年、ナポレオンは80万の大軍を引き連れてロシアへと攻め込みます。暑い中、広く広大な大地を来る日も来る日も前進し続けるフランス軍は、敵と戦ってもいないのに疲弊し切ってしまいます。

夏の暑さ、食糧不足、疲労…

 

戦う前から10万の兵士を失ったナポレオンはようやくモスクワへ到着しますが、ここで大火事に遭います。その後冬がやって来ますが、夏服のままでは極寒の冬を過ごせません。

こうしてフランス軍は戦わずして負け戦となったのです。フランスへの撤退途中、ロシア軍に攻撃されたり、寒さやひもじさなどで皆バタバタと倒れていきます。ついに、兵士の数が2万人ほどになった時、ふいにロシア軍の猛攻撃を受けます。

 

 

 

瀕死の状態でパリに戻ってきたナポレオン

ボロボロになったフランス軍は、ようやくロシアの外へ出ることができました。瀕死の状態でパリに戻ってきたナポレオン。これをみてドイツの人たちは立ち上がります。

「我々はナポレオンに押さえつけられてきたのだ。今のナポレオンにはもう戦う力が残ってはいまい。今こそナポレオンをやっつけようぞ!」

 

しかし、ナポレオンは僅か1ヶ月のうちにフランスの若者を集め、15万もの軍隊を作り上げ、すぐさまドイツへと攻め込みます。ところが、味方であるはずのオーストリアがドイツに味方しているではありませんか。

イギリス・ロシアもドイツに味方します。こうして、これまで戦で負けたことのなかったナポレオンは初めて敗北を喫すのです。捕らえられたナポレオンは、フランスの南の海にあるエルバ島へと流されます。

 

 

 

それから1年

パリの人たちは「やっぱりナポレオン皇帝はよかった。我々の気持ちを本当によくわかってくれていた」と噂するようになります。なぜなら、ナポレオンがエルバ島に流された後、フランスでは王の甥がイギリスから帰ってきてフランスの王になっていたのです。外国に逃げていた貴族たちも戻ってきて、悪政が復活してしまっていたのです。

 

ちょうどそのとき、

島を抜け出したナポレオンがパリへ戻ってきます。

「王と貴族の政治は滅びるがいい。ナポレオン皇帝万歳!」

 

ナポレオンがパリに近づいたときには兵士の数が2万にもなっていました。これを見た王は逃げ出し、血を流すことなくナポレオンは皇帝に復帰したのです。

しかしこのとき、ヨーロッパ中の皇帝や王たちはウィーンに集結し、会議を開いた結果、ナポレオンを叩き潰すことにしたのです。

 

緒戦は勝利したものの、さすがのナポレオンも連合軍にはかないません。負けてパリに戻ってきたナポレオンにフランスの議会はこう言います。

「もう戦争はこりごりだ。フランスのためを思うなら、皇帝の位から退いてください。」

 

 

終わりに

泣く泣く皇帝を退いたナポレオンは捕らえられ、今度は遠い遠いアフリカの海にある島、セントヘレナ島へと流されたのです。この島に6年ほどいたナポレオンはやがて病気になり亡くなります。享年51。

 

 

この頃、再び王の政治に戻っていたフランスの人々はナポレオンを懐かしく思っていました。彼を心から愛していたのです。

 

その後、パリの人々はナポレオンの遺体を温かく迎え入れます。パリには清らかなセーヌ川が流れています。この川からほど近い、静かな通りにナポレオンは葬られます。”英雄” は、今もなお、墓の下でフランスとフランス人の自由を愛し続けていることでしょう。

 

 

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