名僧蓮如の名言から「人間関係を円滑にする」ヒントを学ぶ

 

つらいことに「無駄な体験」はありません。しかし、世の中には人生を「ラクに生きる人」と「苦しんで生きる人」がいるようです。いったいこの違いは何なのでしょうか?

私たちは皆、毎日に様々な問題を抱えながら生きています。人間関係、仕事、家族、健康、心…

 

一つの問題が解決すれば、次の問題がすぐに出てきます。しかし、考えようによってはこのような「人生の問題」があることこそ、私たちは「生きているんだ」という証しでもあるのです。

納得のできることではありませんが、「悩むこと」こそが人間なのです。

 

この世は無情であり、「生あるものは必ず滅び、何一つとして変わらないものはない」のです。

あなたは必ず死ぬのです。

 

それをわかった上で、「今を生きる」ということを大切にしなければならないのです。幸せに生きていく為に…

 

 

そこでここでは、「生き地獄」とも言われるこの世を、幸せに生きていくためのヒントを、名僧・蓮如に学んでみたいと思います。

 

 

 

「人の悪ろき事はよくよく見ゆるなり。我が身の悪ろき事は覚えざるものなり。」

名僧蓮如の名言から「人間関係を円滑にする」ヒントを学ぶ

これは、浄土真宗の中興の祖として知られる蓮如の言葉です。蓮如は室町時代、衰退していた本願寺を復興させ、民衆に念仏を広めました。

開祖である親鸞の精神に立ち返り、門徒たちと平座で接し、浄土真宗の今日の隆盛を導いたのです。

 

さて、

この蓮如の言葉は、「他人の欠点はよく目につくものだが、自分の欠点にはなかなか気づかないものである」という意味です。

人間とは、常に自己中心的なものであり、誰もが「自分はいつでも正しい」と思っています。

 

しかし、

自分の欠点に気づかない人は人間関係に苦労するもの…

例えば、上司に対して、長男の嫁に対して、粗探しばかりをしていませんか?

 

そうではなく、相手の良いところを意識的に見て、「ありがとう」と感謝の言葉を伝えるようにしてみてください。たったこれだけのことで、今まで煩わしかった人間関係が円滑にいくものです。

ほんの少しだけ、相手の物差しで考えるだけで人間関係がガラリと変わることに気づくはずです。

 

 

 

「心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。」

名僧蓮如の名言から「人間関係を円滑にする」ヒントを学ぶ

この言葉は、「わかった、というのはわかっていないこと。どうもよくわかりません、という人の方が実はわかっているもの」という意味です。

一理ありますね。

 

なぜなら、十分納得している人だからこそ、納得できない部分が見えてきて、結局「納得できない」となるわけです。

この「わかったつもりでわからない」のは、近しい人間関係においてありがちなことです。

 

例えば、同居する父親が認知症になったとします。いつも誰かが側についていなければなりません。同居していない家族たちは、心配して見舞金を送ってくれます。

父親を数日ショートステイに預けて、日頃面倒を見てくれている労をねぎらおうということかもしれません。しかし、彼ら同居家族が「本当に必要としていること」は、ほんの数日でいいから父親の面倒を見てほしいということなのです。

わかったつもりでも、介護者の本当の気持ちはわかっていないものなのです。

 

では、なぜこのようなズレが生じるのでしょうか?

 

それは、非同居家族が実際に介護を体験していないから。

ほんの数日でも体験してみると、家族でなければ世話ができない部分が見えてきて、本当のニーズがわかるものなのです。

 

体験できないなら、直接話をして聞いてみましょう。話を聞いてもらえることで、同居家族の心は少し楽になります。それこそが、家族が幸せになる生き方なのではないでしょうか。

「わかった」と思ったときこそ、今一度考えてみましょう。そうすることで、人間の深い悩みや感動、情緒というものが見えてくるはずなのです。

 

 

 

最後に

「何事も談合すれば面白きことあるぞ」

 

これは、自分一人だと視野は狭くなりがちですが、人と話すことで考え方も練磨されますよ、という意味です。

他の人の意見や経験も大事にしていきましょうね!

 

人間関係を円滑にしていく上でも必要な心構えです!

 

名僧蓮如の名言から「人間関係を円滑にする」ヒントを学ぶ

蓮如は、「善人に見られるより泥棒と呼ばれたい」といった逆説的な言葉も残していますが、これは「罵られてもいいから、立派な人と思われようとするな」といった意味です。

 

ある日、お釈迦さまと弟子たちが歩いていたときのこと。通りすがりの町人がありったけの文句をぶつけてきました。

「俺たちは額に汗して働いているのに、お前たちは人に物をもらって生きているだけではないかっ!」と。

 

このとき、お釈迦さまは延々と続く文句を黙って聞き、やがて町民が言い疲れると

 

お釈迦さま「言いたいのはそれだけですか?」

町民「そうだ」

お釈迦さま「では、さようなら」

 

弟子たちは納得いきませんが、お釈迦さまはこう答えます。

「あれで、悪口という汚れた心は、あの人がそのまま持って帰ったんだよ」

 

 

皆さんも、悪口はサラッと受け流し、自分の中に汚れた心を取り込まないようにしましょう。

また逆に、おだてに乗って過信・錯覚に陥ることもないようにしましょうね。

 

これらを意識し実践していくだけで、

ちょっとだけ悟った自分を発見できるはずです。

 

 

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