なぜ徳川家康公はみんなに嫌われているの?

日本史に登場する歴史上の人物の中で、徳川家康ほど好き嫌いの評価が分かれる人物は珍しいのではないでしょうか。

 

1603年に始まり1867年の大政奉還で消滅するまで、なんと265年間も天下を統一してきた江戸幕府の初代将軍であるにも関わらず。

 

そして、

徳川幕府の政権は、世界史的に見ても類を見ない「長く平和な治世だった」と内外から高い評価を受けているにも関わらず。。。

 

実際、
私の周りにも多くのアンチ家康が存在しています。

 

 
 
 

 気の毒なほどに嫌われている家康公 

太平の世であった江戸時代の基礎を築いた家康ですが、その「偉大な実績」とは裏腹に、あまりにも人気がなく、どちらかといえば「嫌われ者」になることが多いような気がします。

なぜ「成功者」であるはずの家康はこんなにも嫌われているのでしょうか?

 

 

「あなたの好きな戦国武将は?」という問いに対し

よくランキング上位に出てくるのは「織田信長」「豊臣秀吉」「真田幸村(信繁)」「武田信玄」「上杉謙信」「伊達政宗」といった名前です。

その中に、「戦国の覇者」である徳川家康の名はあまり出てきません。

 

150年にわたる戦乱の世に終止符を打ち、未曾有の平和な時代をもたらした「功労者」でありながら、なぜか家康はほかの戦国武将ほど人気がありません。

むしろ、「家康は嫌い!」という人が多いのです。

 

NHKの大河ドラマ『真田丸』(2016年放送) でも、家康は主人公真田幸村の敵役として扱われ、狡猾で抜け目のない「憎まれ役」として描かれています。

よくよく考えてみると気の毒な気もします。

 

 

 

 家康はなぜ天下を取ることができたのか? 

天下人徳川家康が人気ない理由

 

三河 (愛知県東部) 岡崎の小大名・松平広忠の子として生まれた家康は、後に織田信長と同盟を結んで勢力を拡大します。

信長亡きあとはライバルの豊臣秀吉に臣従しつつ、最後は豊臣政権の「五大老の筆頭」として強大な権力を掌握。

秀吉が死ぬと、「関ヶ原の戦い」で自らの敵対勢力を一掃。そして、1603年、江戸に幕府を開き初代将軍となるのです。

 

天下を取った理由はいくつもありますが、やはり、優れた家臣を多く揃えたこと、そして「忍耐力」が大きいのではないでしょうか。

 

家康の家臣には、井伊直政や本多忠勝といった一騎当千の武人たちがいる一方で、本多正信など内政に優れた文官も多数登用されていました。

こういった「優れた人材」たちが強固な幕府の基盤を築いていったのです。それと同時に、「天下掌握のチャンス」をじっと待ち続けた「忍耐力」も並大抵のことではありません。

 

 

 

この2点が天下を取れた大きな理由と言えるでしょう。

 

 

 

 

 じゃあなぜ家康は嫌われているの? 

 

【理由 ①】「タヌキおやじ」と呼ばれる「ズル賢さ」

彼の政治手腕はとにかく「狡猾」なこと。

例えば、三河の大名時代の話ですが、一向一揆に手を焼いていた彼はいったん一揆側と和睦を結び、一揆側が解散するや否や手のひらを返して武力で一揆側を弾圧してしまったのです。

汚い…

 

また、「大坂の陣」でも、豊臣秀頼と表面的には和睦しながらもその陰で大坂城の総堀を埋め、最終的には豊臣家を滅ぼしてしまいました。

汚すぎる…

 

こういった「ズル賢さ」や「狡猾さ」が嫌われる理由なのでしょう。

 

 

【理由 ②】「薄情」

日本人は「絆」や「義理人情」といったものがとても大好きなのですが、家康にはそんなもの一切ありません。「出世第一」主義なのです。

 

三河の小大名だった頃は隣国の今川義元に従属し、「桶狭間の戦い」で織田信長が義元を破ると、今川を見限って織田と同盟。

その信長が「本能寺の変」に倒れると今度は豊臣秀吉に従い、秀吉が病で死去すると豊臣家をないがしろにし、ついには「大坂の陣」で豊臣家を滅亡させてしまうのです。

 

こういった「義理」に薄く「人情」を大事にしない「薄情さ」が、日本人に嫌われる理由でしょう

(中国の「三国志」でいうところの呂布のような存在です)

 

なぜ徳川家康公は嫌われているの?

 

 

【理由 ③】日本人好みのヒーロー要素がない

はっきり申し上げて、家康には「日本人が好むヒーロー」の要素が全くといっていいほどありません。

 

例えば、源義経や織田信長、真田幸村など日本人が好きな武将には、「戦場で華々しく活躍する英雄」としての姿や、逆に「志半ばで潔く散っていく悲劇の英雄」としての姿があります。

猿と呼ばれた秀吉にだって、「農民の子から天下人へ大出世した」という物語があります。

 

これに対して家康はというと、武田信玄に惨敗した「三方ヶ原の戦い」では命からがら逃げ回り、馬上では「お漏らし」をする始末

また、「権力者秀吉には勝てない」と悟るとすぐに屈服し、関東への転封を命じられると意地やプライドをあっさり捨てて全て受け入れてしまいます。

 

残念ながら、「天下を取る男」は (現代社会においても) こういうものなのかもしれませんね。。。

 

 

【理由 ④】目的のためには手段を選ばず

【理由 ①~③】でも述べてきたとおり、家康の行動基準は「つねに自分が生き残る」ことです。実際、ライバルの誰よりも「しぶとく」長生き(75歳)しました。

目的のためには手段を選ばず…

 

成功するためにはきれい事など言っていられない。。。一理ありますが、この行動基準は「好き嫌い」の物差しで計ると「嫌い」」が圧倒的に優位に立ってしまいます。

狡猾な歴史上の有名人

 

 まとめ 

家康が「嫌われる理由」を様々な観点からみてきましたが、いかがだったでしょうか?

 

納得していただけましたか?

それとも反対意見がありますでしょうか?

 

いずれにしても、彼が偉大な「成功者」であることに変わりはありません。江戸時代の日本は、今もなお世界に誇れるような高度な独自文化の宝庫となりました。

「家康がいなければ今の日本はなかった」と言っても過言ではありません。

 

 

そして、家康が天下をとった最大の理由のひとつは「歴史」をよく学んでいたことです。たとえ誰かに妬まれようと、家康のように大きな成功を勝ち取るためには「歴史を学び」「そこから糧を得る」ことも大切です

 

歴史には常に表と裏があります。

 

仮にあなたが家康公のことを大嫌いだったとしても、彼から学べることはたくさんあるはずです。時には反面教師として考えてみてもいいでしょう。

 

 

そして、日常生活の中においても、好き嫌いだけで人を見るのではなく、その人の「良いところ悪いところ」を冷静かつ客観的に見ることができるよう日頃から訓練し養ってみてくださいね

 

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