「メジャーで最も愛される日本人選手」川﨑宗則がイチローマニアになった理由

 
「故障者復帰でマイナー降格するのは日常茶飯事なんです」

 

2016年7月、今季2度目のメジャー昇格を果たしたプロのベースボール・プレイヤー川﨑宗則は、前半戦最後のパイレーツ3連戦の2戦目の日に笑顔でこう話してくれました。

 

川崎は、日本プロ野球界に欠かすことの出来ない存在でした。それはWBCでの試合を観ていた人であれば誰だってそう思ったはずです。イチローばりの安打製造っぷりもさることながら、ムードメーカーとしての役割が非常に大きかったのです。

 

 

 

 イチローのような打球に指揮官感嘆 

2016年1月、川崎はカブスとマイナー契約を結びました。それからは、これまで同様気さくで少年のような人柄を武器に、誰とでも仲良くなり、取材に訪れた記者を相手にキャッチボールをしたり、大勢の選手の前で景気づけの歌を歌ったり…何とも元気ハツラツなのです。

「Motivational Speaker (士気を上げる演説)」を行なったこともありました。「さあ、いつもの調子だっ!」そして彼は、いつも通りのムードメーカーとしてクラブハウスの人気者となっていったのです。

 

打撃練習では強烈なライナーを外野の防球ネットに突き刺します。これを見た監督は、「まるでイチローのような強い打球だ」と大絶賛!その後、疲労困憊の状態にも関わらず、オープン戦では打率3割6分7厘という驚異的な数字を残したのです。

 

カブスの監督はこうも言っています。

「トロント・ブルージェイズでの彼がエネルギーに溢れ、人々を楽しませる存在だったのはもちろん知ってるよ。我々が知らなかったのは、彼は本当にいい野球選手なんだってことさ!」

 

「メジャーで最も愛される日本人選手」川﨑宗則がイチローマニアになった理由

 

 

 

 川崎がイチローを知った日 

 

「大体おかしいじゃん、カタカナだし」

 

「メジャーで最も愛される日本人選手」こと川崎宗則は、苦労は表に出さず、苦しい時こそガンガン前に出ていくタイプのアスリート。

そんな彼が野球少年だった頃、初めてイチローの存在を知り冒頭の言葉を発したとか。

 

小学〜中学2年まで右バッターだった川崎は、「あれっ、先輩たちより打球が遠くへ飛ばないぞ」ということに気づきます。「みんな体が大きいのに、俺は細くて背もそんなに高くない」

バッティングに自信を失くしていたあの頃…

 

「そんなとき、あの人を見たんです!」

 

スポーツニュースで、イチロー選手が打って走る姿を見て、「うわぁ〜、こんなにスマートな野球選手がいるのかっ!」と驚いた川崎。当時の野球少年たちにとって、プロ野球選手といえば清原和博や松井秀喜のような体の大きな選手。川崎少年もそう固く信じていましたが、、、

 

「あんなに体が細いのに、誰よりも強い!誰よりも飛ばすし、誰よりも速い!」

まさに、少年にとってイチローの存在は光だったのです。

 

 

 

 イチローにはなれるかもしれない 

勇気をもらいました。

 

「今の俺にはそんなこと絶対に言えないけど、何も知らない中学生だった俺は、イチローにできるんだから俺にもできる!」

そう思ったのです。

 

「まるでスーパーマンじゃないかっ!」

「俺もスーパーマンになりたい!俺、体ちっちゃいけど、イチローみたいになれるかもしれない!」

 

「メジャーで最も愛される日本人選手」川﨑宗則がイチローマニアになった理由

 

 

 

 イチローにのめり込む川崎 

それからというもの、少年はイチロー選手のことが気になって気になって仕方ありません。中学3年生のとき、鹿児島にイチロー現る!

1996年4月、鹿児島の鴨池球場で行われたロッテ対オリックス戦の試合を友達3人と観に行った川崎少年。

 

「うわぁ〜、肩強えなぁ。」

 

試合中、ライトライナーを滑り込みながら捕って、そのままビューンって投げたのも見た。試合が終わって、ファンに追い掛けられたのも見た。ファンがグラウンドに降りてって、イチロー選手のところへ行ったら、イチロー選手、ピューンって逃げた。それもビックリするほど速かった。

ホームランも打った。

 

 

 

 トロントに愛された野球小僧 

2013年3月、トロント・ブルージェイズとのマイナー契約が成立し開幕をマイナーで迎えた川崎は、4月にはメジャー昇格を果たします。残した数字はまずますですが (あまり良くはない)、わずか半年でトロントの野球好きの心を掴んでしまったのです。ファンにもチームメイトにもとても愛されました。

 

マイネーム、イズ、ムネノリ、カワサキ、アイム、ジャパニーーーーーーーズ!

 

メジャーでの初めてのホームランを打ったとき、サヨナラヒットを打ったとき、チームメイトもファンも我がことのように喜んでくれたのは、英語のできない川崎がマル秘のメモを持ち歩いて英語を話そうとする姿を、愛していたからなのです。
 

「メジャーで最も愛される日本人選手」川﨑宗則がイチローマニアになった理由

 

 

 

 川﨑宗則の略歴 
 

1981年6月3日、鹿児島県生まれ。2000年にダイエー入団。2003年、レギュラーに定着し日本一に貢献。2004年、最多安打・盗塁王を獲得。2012年、FAでシアトル・マリナーズ入団。2013年、トロント・ブルージェイズではまずますの成績も自由契約に。2014年、ブルージェイズとマイナー契約。メジャーとマイナーを行き来する状態でプレイ。2015年、ブルージェイズとマイナーで再契約。引き続き、メジャーとマイナーを繰り返す日々。2016年、シカゴ・カブスとマイナー契約。なぜかすぐに自由契約になるも再び再契約。
 
 


最終更新日:2019/12/17