年下でも尊敬できる男、馬原孝浩

ソフトバンクホークスで大活躍し、オリックス移籍後も自慢の豪速球でファンを魅了し続けてきたプロ野球投手の馬原孝浩さん。

日本歴代7位の182セーブを誇る彼は、マウンドを降りるといつも優しい表情でした。

 

そんな彼は2015年、オリックスを退団し現役を引退。球団スタッフや野球解説者、講演会の依頼など数多くあったのですが、それらを全て断り、2016年4月から「九州医療スポーツ専門学校」に入学。

柔道整復師と鍼灸師の国家資格取得を目指して現在猛勉強中なのです。

 
「今、人生で一番勉強していますよ!」

 

そう言って笑った馬原さんは、夜間部の授業を受講し、月~土の毎日3時間、講義のため、自宅から学校のある北九州市まで車で片道1時間半、往復すると210キロある道のりを通っているのです。

知人トレーナーの紹介でこの学校に決めたそうですが、授業料よりも交通費の方がかかるというところがいかにも誠実な彼らしい選択なのでしょう。

 
「資格取得まで3年。とにかく3年、頑張ろうと思っています。夜に学校に通って、昼間に復習して、試験前はずっと勉強していますよ」

 

 

馬原孝浩、現役引退!

2015年12月14日、馬原さんは現役引退を表明しました。

会見などは開かれず、マネジメント会社を通じて「自分のベストパフォーマンスができなくなった」とコメントを寄せたのみ。

静かに、あまりにも潔く、一時代を築いた守護神はそっとユニフォームを脱いだのです。

 

ホークスで長らくストッパーを務め、2007年には38セーブを挙げてタイトルにも輝きました。2013年にオリックス・バファローズに移ってからも活躍は続きます。

チームの躍進に一役買っていたのですが…

残念でなりません。

 

最速158kmの豪速球。鋭く落ちるフォークボールも冴え渡りました。カットボールを武器にした時期もあり、ホークス時代のチームメイトで仲良し同級生だった川﨑宗則は

「ヤンキースのマリアーノ・リベラみたいに凄いから!」と言って、「マベラ」と呼ぶほど。

ソフトバンクホークスの仲良しコンビ、川崎と馬原

そんな名投手なのに、あまりに寂しすぎる幕引きですね。

 
 

一から猛勉強中の元プロ野球投手

夜間部は、未成年から70歳前後まで幅広い年齢層がおり、仕事をしながら勉強する人もたくさんいます。机に並べば元プロ野球選手の肩書きは通用しません。

 

「プライドを捨てないといけないでしょうね」

 

そう話す顔には、とにかく勉強したいという情熱が満ち溢れています。

 

ソフトバンクで一時代を築いたクローザーですが、けがに泣かされた時期も長くありました。状況によっては連投しなければならないクローザーにとって、4イニングという尋常ではない体への負担も何のその。

自分の体よりもチームの勝利を優先し、投げ続けたのです。しかし、そんな無理が祟って体に異変が生じ、以来不調は慢性化してしまったのです。

 

「それからは、1球も自分の思うように投げられなくなった」

 

蓄積された違和感は、2008年の右肩炎症、さらに2012年の右肩手術へと繋がっていったのです。

一ファンの目から見ると、「馬原は球団に潰された」と思いたくもなるのですが、本人はそんな苦しみを周囲には一切見せず、、、

 

誠実と根性の男は今、新境地を目指し一生懸命頑張っているのです。

 

 

 

体のことを猛烈に勉強したくなった理由

通算記録でいうと、2007年までは158試合に登板し89セーブ。一方、2008年以降は227試合で93セーブ。怪我に悩まされ続けていた頃も、記録上は全く遜色ありません。

 

しかし2013年、オリックス移籍1年目の3月。運命を変える負傷を負います。「右鎖骨下にある腕神経叢の炎症」。日本球界では聞いた事がなく、メジャーリーグでも数例しかない症例。

英語の文献まで取り寄せて研究したものの右腕のしびれは消えず、何カ所も治療院を回りますが、良くなる気配は一切なかったのです。

 

2013年オフからは個人トレーナーと二人三脚で、マッサージ & ストレッチを追求し毎日5時間。

迎えた2014年。「一日でもトレーニングを抜くと投げられない日々だった」という中で、自己最多の55試合に登板。選手生命の危機から見事這い上がったのです。

 

オリックスバファローズ時代の馬原孝浩

 

引退後の今でも、「右腕のしびれはなくならない」と静かに答える馬原さんは、人間の体の限界を超えていたのでしょう。

これが、体のことをもっと勉強したくなったきっかけなのです。

 

投げられないはずの体で150キロを投げ、182セーブを挙げた柔道整復師や鍼灸師はどこにもいません。将来、治療を受けるであろう現役選手のために、現役時代と全く変わらぬ情熱で頑張っている馬原さん。

応援せずにはいられませんね。

 
 

バカがつくほど真面目な男、馬原孝浩

ふと、2015年9月のあのときのことを思い出しました。左膝のケガがあった馬原さんに対しオリックス球団は、年俸1億3,500万円(推定)から1億円以上ダウン提示。

事実上の「戦力外通告」を受けた馬原さんは退団を決意。

 

「別にオリックスに恨みなんてないんです。仕方のない事情があるんでしょう。ソフトバンクでクローザーになって、結果が出なくなったときは辞めるときと決めていたので」

 

バカなやつです。あれだけ頑張った2014年のオフに複数年契約を結んでおけばこんな事にはならなかったのに。。。

振り返ってみると、ソフトバンク時代のインセンティブ(出来高)契約も自ら放棄し、「1年勝負!」という信条を曲げない男でした。

 

「これから2、3年で自分がどう思うか。この思いを、将来どう解き放つか。良い話も悪い話もあると思いますが、自分が未熟では一番良くないのかなって。でも正直、今は考える余裕もないんですよ。勉強が本当に忙しくて。」

 

 

 

終わりに

熊本生まれ。九州男児の中でも純粋で正義感が強く、一度決めたらテコでも動かないと称される「肥後もっこす」は、栄光の陰で右肩の故障と長く戦ってきました。

一時は海外でプレーすることも検討したようですが、最高の投球が出来ない自分自身を許すことができなかったのでしょう。

 

ただひたすら実直に、野球と向き合っていたのです。

 

他のプロ野球選手であれば、遠征先ではナイター終了後、夜の街へ繰り出すのが常なのですが、彼はそれをしませんでした。

ホテルに用意されたトレーニング室に出向き、時計の針がてっぺんを過ぎても、最後の一人になっても、深夜遅くまでダンベルと向き合っていたのです。

それからまた部屋に戻りストレッチ…

 

一つの不安も残さずマウンドに上がる真面目気質そのままに、打者とは真っ向勝負。力でねじ伏せる。ファンは暑くそれを支持したのです。

 

34歳での引退は早すぎる!

あまりに惜しい!

 

野球選手には時々、年下だけど素直に尊敬できる男がいます。馬原孝浩もその一人。今はもうプロ野球選手ではないけれど、これからもずっと、彼のことを応援し続けていきたいと思います。

ハンサムイケメンなスポーツ選手

 

 

馬原孝浩のプロフィール

・生年月日:1981年12月8日

・出身:熊本県熊本市

・大学:九州共立大学 (1学年上の先輩は新垣渚)

・身長:181cm

・プロ入り:2003年、自由獲得枠で

・福岡ダイエーホークス〜福岡ソフトバンクホークス (2004〜2012年)

・寺原隼人のFA移籍に伴う人的補償でオリックス・バファローズに (2013〜2015年)

・WBC (日本代表チーム) にも参加 (2006年、2009年)

・妻:畑野優理子 (元テレビ西日本アナウンサー)  (2007年〜)

・趣味:釣り (城島健司に学ぶ)、読書

・少年時代、当時男子に混じって少年野球をやっていた元プロゴルファーの古関美保にホームランを打たれたことがあり、今でも鮮明に覚えているらしい

・プロに入って以降、毎年欠かすことなくハンセン病療養所 (熊本県) を訪問。

・仲良しの川﨑宗則とは「マー君」「ムネ」と呼ぶ間柄で、独身時代は運転の得意でない川崎の代わりに車庫入れを手伝わされていたとか (笑)

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