黒柳徹子さんの結婚観と発達障害について

長寿番組「徹子の部屋」が放送10,000回を達成し、「同一司会者によるテレビトーク番組最多放送」のギネス世界記録に認定された黒柳徹子さん (2015年のことです)。

 

「小学校を退学になったような人間がギネスをいただけるなんて…」

「校長先生、どこかで見ててくださると思う。」と涙を浮かべて語っていらっしゃいました。

 

 

森光子さんや森繁久弥さんといった人たちがこの世を去ってしまった今、徹子さんは数少ないテレビの歴史を知る生き証人の一人。そんな徹子さんには、あまり公になっていない隠された謎も多いといえるでしょう。

 

 

ここでは、そんな徹子さんの「結婚観」と「発達障害」に関する情報をまとめてみました。

 

同じような悩みを抱える皆さんの勇気と希望になることを願って、最後までお読みいただければと思います。

 

 

 

 

 黒柳さんの結婚観について 

若きタマネギ頭がチャーミングな黒柳徹子さん

 

「若い頃は私も子供に尊敬されるお母さんになりたい」と思っていたのよ、と話されたことのある徹子さん。

ある日銀座で見た人形劇に感銘を受け「私も自分の子供にやってあげられたらいいな、絵本を読み聞かせしてあげたいな」と思い、その道に進もうと決意したそうです。

 

「今までに2、3回、結婚してもいいかなって思ったことあるのよ」とも語っておられました。

 

そのうちの一人はお見合いにて。徹子さんは過去に3度のお見合いをしてこられたようで、最後の一人の方とは結婚も考えたそうです。

 

 

でも、、、

ふと、「あ、この人がいい!」と思える男性に出会っちゃったらどうしよう?」と考え、考えに考えた末、結局この話は破談になったとか。

 

一説によると、「ひとつでも気に入らないところがあったら結婚しないほうがいいよ」という離婚歴のある方からのアドバイスにより、「歩いてる時の感じがちょっと好きじゃないわ」なんて思った徹子さんはこの結婚を破談に・・・

 

 

その後も、お付き合いした人たちからプロポーズをされるも、それを受けずに今に至るという感じなんです。

 

結局、タイミングなどの関係で生涯結婚には至っていませんが、このエピソードに徹子さんの恋愛・結婚観がよく表れているのではないでしょうか。

結婚よりも、仕事への情熱の方が勝っていたのかもしれませんね

 

「私は結婚していないけれど、結婚していてもいなくても、今の私であることに変わりはないわ」と笑顔で話してもいらっしゃいます。

 

黒柳徹子さんの結婚観と発達障害について

 

 

 

 

 黒柳さんの個性と才能を見出した人物 

NHK専属のテレビ女優第1号となった徹子さんですが、実は、受験者数6,000人以上に対し演技の素人だった徹子さんは筆記試験もできなかったようです。

 

それでも、

「テレビジョンという新しい世界の俳優は、あなたみたいな何もできない、何も知らない、言い換えると、無色透明な人が向いているかもしれない」という評価を受けて採用。

 

しかし、いざ現場に出ると、徹子は「目立つ」「普通じゃない」と罵られ、「変な声だ」「その喋り方を明日までに直せ」「みんなと同じにできませんか?」などと言われ続けたといいます

 

そんな時に知り合ったのが脚本を担当していた飯沢さんという男性です。1954年当時、飯沢さんは「大人の女性で子供の声を出せる」人を「ヤン坊ニン坊トン坊」というラジオドラマに起用したいと考えていました。

 

そこで、「オーディションで合格しても、(これまでのようにまた) 本番では降ろされるんだろうなぁ」と不安に思った徹子さんは

「私、日本語も喋り方も歌い方も変だとみんなに言われています。個性も引っ込めます。勉強してちゃんとやりますから。」と強くアピール!

 

すると飯沢さんは

「直しちゃいけません。あなたの喋り方がいいんですから。どこも変じゃありませんよ。そのままでいてください。それがあなたの個性で、それを僕たちは必要としているんですからね。」

「心配しなくても大丈夫。いいですね。直すんじゃありませんよ。あなたのそのままがいいんです。」

 

 

この飯沢さんの言葉は、これまでみんなに馬鹿にされ非難され続けてきた徹子さんの胸に深く突き刺さりました。

 

「いくら呑気で元気な私でも、邪魔とか帰っていいばかり言われ続けていたから、飯沢さんの言葉がなかったら、今の私は何一つできない大人になっていたかもしれなかった。」

 

このラジオドラマが評判となり、徐々に仕事が増えていったのです。そしてこの飯沢さんこそが、かつて徹子さんが大恋愛をしたと噂されている男性の一人なのです。

 

確かに、周りから散々はみ出し者扱いされてきた中で、こんな風に自分を認めてもらったら、恋に落ちても不思議ではありませんよね

 

 

 

 

 「発達障害」 

発達障害を公表した芸能人

徹子さんの “発達障害” が公になったのは2000年のこと。著書において、自身がLDの発達障害であることを告白するとともに、「計算障害」「読書障害」であることも匂わせています。

 

事実、徹子さんは台本をいくら読んでもセリフが覚えられないといった、仕事・日常での不便に感じる出来事を説明しています。

特に数字を覚えるのが困難なようで、小学生でも難なくできる加算および減算もままならず、一桁計算が限界だといいます。

 

幼少期にはたくさんの問題を抱えた女の子だったようで、公立小学校に入学した徹子さんは問題行動が原因で1年生のときに退学させられました。

 

「蓋つきの机の蓋を100回ぐらい開け閉めする」

「画用紙をはみ出して絵を描く」

 

いわゆる、ADHD(注意欠陥・多動性障害)のような症状ですが、まだ『発達障害』なんて言葉のない時代ですから、周囲からは「変わった子、問題のある子」として特別視されていたことでしょう。

 

しかし母親はそんな娘を認め、彼女が彼女でいられるように自由に育ててくれたと言います。今の徹子さんがあるのは、こういった母親の愛情あってのことなんですね

 

 

 

 

 トレードマークのタマネギ頭がかわいい!若い頃の徹子さん 

若きタマネギ頭の黒柳徹子さん

当初はその個性が邪魔をして仕事に恵まれずにいましたが、劇作家の飯沢匡(いいざわ ただす)さんとの出会いから、人生は好転していくのです。

 

「君のその個性が欲しいんだ」

 

飯沢さんのこの言葉で、才能を開花させていった徹子さん。

1958年のNHK紅白歌合戦では、25歳という若さで司会に抜てきされるほどになりました

 

 

 

 

 おわりに ☆ 

 

「子どもに読み聞かせをするお母さんになりたい」という徹子さんの想いは叶いませんでしたが、ユニセフ親善大使として世界中の恵まれない子どもたちへの支援を続けるなど、徹子さんは偉大で素敵な「お母さん」だと思います

 

小学生の頃、落ち着きがなく勉強が苦手だった徹子さん。大人になって芸能界に入っても、台本が全然覚えられず苦労していた徹子さん。

 

それでも、現在の地位を築いている黒柳徹子さんは、きっと若い頃、人一倍努力していたのでしょうね

 

いつまでも、若い頃と変わらず美しい黒柳徹子さんでい続けてほしいものです。
 

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