プロ野球辛口評論家の晩年の人生に黙祷

「最近、人に賭ける心意気みたいなものを感じる機会が減りました。働く方も、働かせる方も、どこかマニュアル的である一線を踏み越えようとしませんよね。」

「そうなった原因の多くは、人間関係の希薄化にあると思います。思い切って部下に仕事を託すといっても、その部下のことを上司が良く理解していなければ無理難題を押し付けるだけになりかねない。」

「日本人が変にアメリカナイズされちゃいけない。組織のリーダーは特に、スマートさの一方で、人を熱くさせる心意気を大切にすべきです。」

 

生前、こんなことを語っていた元プロ野球選手の豊田泰光さんが、誤嚥(ごえん)性肺炎のため川崎市内の病院で亡くなりました (享年81)。

プロ野球西鉄(現西武)の黄金時代に強打の内野手として活躍した豊田さん。引退後は野球解説者として活躍し、2006年には野球殿堂入りを果たしました。

 
 

 晩年の豊田さん 

豊田さんは8月14日に容体が急変し、入院先の病院でそのまま帰らぬ人となりました。近年は施設で暮らしていたのですが、誤嚥性肺炎による高熱で、1週間前に緊急入院していたのです。

晩年は西鉄ライオンズOB会会長として、イベントの開催に尽力。私生活では、認知症を患った妻峯子さんの介護を10年前から行っていました。自身も軽い脳梗塞を患う中、献身的に妻を支え続けたのです。

 

 

 現役時代の豊田さん 

1953年に水戸商(茨城)から西鉄に入団した豊田さん。1年目から遊撃手のレギュラーとなり、打率2割8分1厘、27本塁打で新人王に選ばれます。

27本は当時の新人記録。鉄腕・稲尾和久、怪童・中西太の両氏らとともに、「野武士集団」として1956年から日本シリーズを3連覇!

高卒ルーキーの頃から誰に対しても遠慮なくものを言い、チーム内では非難の声も上がったと言います。それでもひるまず我が道を突き進む豊田さん。

しかし、単なるワガママだったわけではありません。チームの勝利を最重視し、チームプレーは怠りませんでした。

 

1958年の巨人との日本シリーズ。1勝3敗で迎えた第5戦。1点を追う9回裏、無死二塁で打席に立つと、自らの判断で送りバント。

結果、この試合に勝利し、この後、敵地に乗り込んで連勝。3連敗からの4連勝という球史に残る奇跡の逆転劇に結びついたのです。

 

プロ野球辛口評論家の豊田泰光さん死去

 
 

 大腸ガンを患ったことも 

2000年頃、豊田さんがトイレで用を済ませていると、ベンに大量の血がついていることに気づき急いで病院に行ってみると、医師からこう告げられました。

「豊田さん。大腸ガンですね。すぐに手術をしないといけません。」

そこで医師の判断に従いオペを受け、腸を切断 (25cmもの長さ)。

その後脳梗塞を患ったりしながらも、10年もの歳月を愛する妻の介護に捧げてきたのです。

 
 

 誤嚥性肺炎とは? 

豊田さんの死因は誤嚥性肺炎でした。肺炎は死因ランキングの4位ですが、そのほとんどが高齢者なのです (うち7割が誤嚥性肺炎)。

この誤嚥性肺炎とはいったいどのようなものなのでしょうか?

 

高齢者になると脳が次第に衰えてきますので、情報の伝達がスムーズにいきません。食事をする際、本来であれば飲食物は食道を通っていくのですが、誤って気管に流入してしまうことがあるのです。

(これを誤嚥といいます)

誤嚥性肺炎の根本的な原因はこれにあります。


 

◆豊田泰光(とよだ・やすみつ)1935年(昭10)2月12日生まれ。茨城県出身。水戸商では52年夏の甲子園で選手宣誓。53年西鉄入団。高卒1年目から遊撃の定位置を獲得。45失策するも、当時新人最多記録の27本塁打で新人王に輝く。強打で西鉄黄金時代を支え、56年首位打者。56、57、59~62年ベストナイン。62年に助監督となる。63年国鉄に移籍。68年2試合連続代打サヨナラ本塁打。69年引退。球宴出場9度。06年殿堂入り。現役時代は176センチ、82キロ。右投げ右打ち。


 
 終わりに 
長嶋茂雄さんや野村克也さんなども、心からのご冥福の言葉を寄せています。私も、妻への献身的な愛を貫いたその人生に敬意を表して、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

最後に、
毒舌でも有名だった豊田さんの晩年の言葉を紹介して締めくくりたいと思います。

 

「セ・パ交流戦は目新しいカードの真剣勝負が見られるが、12球団しかない日本では組み合わせも限られ、そろそろ飽きてきた。」

 

「交流戦導入以来、オールスターも盛り上がらなくなったし、そろそろ、韓国や台湾との対戦こそ『交流』の名にふさわしいんじゃないかな。」

 

「このままじゃ、交流戦、球宴、日本シリーズのどれもが半端な行事になるよ。」

 

(全く同感です)

 

最後の最後に (くどいようですが)、妻への献身的な愛 (介護)に励まれたその晩年の人生を私たちも見習っていきたいものですね。
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