末期がん患者からの助言「それでも生き甲斐を見つけて!」
「申し上げにくいのですが、肺に悪性の腫瘍があります。」
「進行状況はステージ4です。このまま何もしなければ持って3ヶ月。長くとも半年でしょう。」
確かに、ここ1年で私の体重は10kgほど落ちました。それでも、ほんの数日前までは (胸水が溜まって息苦しかったとはいえ) 普通に仕事をしていたのに。。。
あっさり残り90日と宣告されてしまったのです。
気持ちの整理がつかないまま、実家の両親に電話をし、「がんなんだ…」と話すと、もうそれ以上は言葉が出なくなっていました。その場でうずくまり、泣き続け。。。
それから顔を洗って妻に伝え、しばらくはショックで仕事や生活、子供のことなんかが全く考えられない状態に陥ってしまったのです。
「数日前までは普通に仕事をしていたのに、いったいなぜ?」
「俺が癌?うそだろ!?」
別の方の話もみていきましょう ↓
2016年に胆管がんと診断され「末期の状態です」と告げられてしまったAさん (30代男性) は、急に崖から突き落とされたような感じで目の前が真っ暗になってしまいました。
5年生存率が極めて低いという、胆管がん。
診断された時には肝臓の6割、膵臓の頭までを取る大手術をしなければならないということでした。難易度が高い「12時間コース」の手術で、体力が持たずに手術途中に命を落とす人もいるとのこと。
でも、実際に手術をしてみたらたったの3時間で終わってしまいました。なぜなら、開腹してみたらリンパ節や腹膜への転移が多すぎて、すでに手がつけられない状態だったから。もう、抗がん剤治療しかできることはない…ということがわかったんです。
いわゆるステージ4、末期の状態です。家族にだけ告知されていて、自分が教えてもらうまでに手術から3日間ありました。家族の目が腫れていたり、奥さんが気丈に振る舞っていたりして、おかしいなと思いながら過ごしたので予感はありました。
・・・
それからしばらく考え、「娘に残してやれるものは何なのか!?お金?ビデオレター?それとも手紙?」
でもそれよりも、「父親がこういう仕事を最後にしたんだ」と物心がついた頃に知ってくれ、「私も頑張ろう!」と思ってくれたらめっちゃ嬉しい!
「よしっ!そのために、お金を生み出して、事業としてちゃんと回って、なおかつ社会に貢献する仕組みを作ろう!」と決意したのです。
これが自分の最後の仕事なんです。
会社員のB子さん (30代女性) はステージ4の末期乳がん患者です。すでに体中の骨や肺にもがん細胞が転移しています。それでも、7歳と3歳の子育てをする一方で、会社勤めを続けています。
見た目や生活ぶりは健康な人と何ら変わりません。彼女の活力の源泉となっているものはいったい何なのでしょうか?そして、家族にはどんな思いを抱いているのでしょうか?
ステージ4の宣告を受けて2年が経ちます。ちょうど2年前の夏、お風呂に入った時に乳房のあたりが固くて「あれっ、何か変な感じがする」と思ったんです。
もともと左胸が乳腺炎になりやすかったり、腫れやすかったりという兆候があって、以前から定期的に病院には通っていたのですが、親の介護に加え、子どもが体調を崩す日も多くて、病院に行けない状態が半年以上続いたのです。それでも、気にはなっていたので、久しぶりに病院に行って検査を受け2週間後…
「今すぐ来られますか?」
そしていきなり余命宣告を下されたのです。
「がんが両方の肺と全身の骨に転移している、ステージ4です」と淡々と説明され、「うちでは手に負えないので、がん専門の病院を紹介します」と言われ、、、
ただ、B子さんはなぜか不思議と冷静に受け止めていて、泣かなかったのです。漠然と、「(長男の幼稚園の)送り迎えはどうしよう?」なんて思っていました。
それから、「 (次男の) 母乳もやめなければならないのかなぁ」「これまで授乳していても大丈夫だったのかなぁ。悪いものを飲ませていたんじゃ…?」などと考えたのです。
同じく、ステージ4の乳がんを患ってしまったC美さん (30代女性) も、病気を宣告された瞬間、自分のことよりも子供たちの心配ばかりをしていたそうです。
とにかく、これからの生活や子どものことで頭がいっぱいになってしまったのです。不思議と、悲しいという感情は当時まったくなかったのです。
ただ、夫が泣き崩れているを見るのは辛つらかったです。交際期間も含めて20年近く連れ添っているので、「いて当たり前」の存在です。それでも、「父親が泣いているのに母親の私まで泣いちゃだめだ!」と思ったのかもしれません。
ある時、当時5歳だった長男が「お母さん、あと5年生きられないの?」と聞いてきました。長男は比較的成長が早く、大人っぽくしっかりしていたので、(医師の)先生から「一緒に聞かせた方がいいんじゃないか」って言われたので同席させていました。
そうは言っても、半分わかっていない感じで泣いていました。「いきなり明日死ぬの?それとも何年か生きて死んじゃうの?」って聞かれました。
半年ぐらい経つと、「ママじゃなくて僕が代わりに死ねばよかった」などと言い出したのです。「なぜ?」と理由を聞くと「僕はまだそんなに長く生きているわけじゃないから」と。その時に初めて長男は大泣きし、私も一緒に泣きました。
同じような経験をされているDさん (40代男性) は、ソーシャルワーカーと相談して、入院はせず在宅医療の道を選びました。
ただ、医師からはこう言われていました。
「痛みを完全に取り除くことは無理ですよ」
「その上で、今より悪化させることなく、生活の質を落とさないようにしていきましょう」と。
これは緩和ケアに近い形です。早く見つかっていれば、すぐに入院して手術をすることもできたのですが、転移がひどくて手術すべきではないと判断されたのです。
骨はすでに相当もろくなっていて、骨折しやすい状態になっていました。そのため、まだ1歳だった我が子を抱きかかえたりすることはできません。あれもだめ、これもだめ……。制限が多く、スキンシップが少ないので子供がかわいそう。。。
そのような状況の中、ちょっと無理をしてしまったりすると体調が悪化し、緊急入院することになるのです。点滴を腹と腕から入れられ、体中を管でつながれ、副腎皮質ホルモンのステロイドや抗がん剤を投与されました。
折れた骨が頸けい椎ついに影響し、手足のしびれ、神経障害が出てしまいました。それで、足が動かなくなって。
ずっとベッドの上で、一人で排泄に行けないのも苦痛です。「この年で介護される側になるなんて」・・・。抗がん剤の副作用もひどく、声は出なくなり、三半規管は狂い、耳がおかしくなりました。
ペットボトルのふたさえ開けられず、何もできなくて。もう生きているのか死んでいるのかさえわからなくて、大泣きしました。
末期がんの患者さんたちは、多くの困難と闘っています。
例えば、胸に水が溜まったり、咳が原因で呼吸困難になって死にかけたり。。。
ある夜、看護師さんが気づいてくれ事なきを得たのですが、本当に生死の境をさまよったんです。なんとか朝を迎えることができましたが、「頑張らなければ…」という気持ちと、「もう苦しみから逃れたい…」という後ろ向きな気持ちとの間で葛藤する毎日です。
それでも…
モルヒネ入りの強い薬を飲んでいるので車の運転などはできず、家から出られず、友達とも会えず、買い物もできない。
それでも、副作用で記憶力や集中力が低下する抗がん剤を使っていたこともあって、医師から「何かやったほうがいいよ。見た目は30代でも心は60代になっちゃうよ」と言われました。
「そうだよな」
少しだけ前向きな気持ちを取り戻し、「治療費や子育てにお金がかかるし、少しでもお金を稼がないといけない」と思い、パソコンを使って「クラウドソーシング」の仕事をすることにしたんです。
まず第一に、生き甲斐がないとダメになっちゃうような気がしていたので、とにかく集中できることをしたかったんです。「クラウドソーシング」であれば在宅で働けますし、リハビリにもなる。おまけに記憶力の維持にもつながるんじゃないかなーと思ったんです。
人間の免疫力って思っている以上に凄いんです!
だから、(基本的には) むやみやたらに薬に頼っちゃだめですし、ストレスを溜まてはいけません。ストレス ⤴️ → 免疫力⤵️ですからね!
どんな時も、いつも明るく笑い飛ばして生きていきましょう!ネガティブ思考では、あなた自身も周囲の人たちもダメになってしまいます。
余命3ヶ月であっても、「笑顔」と「感謝」を与えることのできる人であり続けたい!